昨日、海へ行った。
潮香る街に暮らす両親に会うため。
前の晩、なかなか眠りにつけなかった。
カーテンの向こうは既に明るい世界。
諦めと共に、気怠い体を横たえたままイヤホンを耳につけた。
秦 基博の 「プール」 を聴いていたら、
どんどん涙が溢れてきて、抑えようと必死にならざるおえなくなった。
腫れた目で会いに行くわけにはいかない。
そういえば涙も潮の香りがするね、と
見えない誰かに囁いて苦笑いの朝を迎えた。
今日という日を迎え入れる。
身支度をして家を出た。
ばったり管理人さんに会い、とびきり元気に 「いってらっしゃい !! 」 と笑顔で言われ、
少し恥ずかしがりつつ挨拶を交わし駅へ向かった。
ガタンゴトン揺れながら、車窓からの景色を眺める。
スピッツを聴きながら、段々広がっていく空をずっと見ていた。
家を訪ねる際、何と言って入ればいいのかいつも迷う。
家族の住まいではあるけれど、わたしは暮らしたことがない。
「こんにちは」や「お邪魔します」では他人行儀、かといって「ただいま」は違う。
適切な言葉を探せないまま、いつも曖昧に「着いたよぉ」などと控えめに言う。
単身赴任だった父とは、
自分の年の半分の年数しか一緒に暮らしていない。
ランドセルを背負っていた頃の姿の方が、多く記憶に残っていると思う。
だから、いつまでも幼く感じるのかもしれない。
離れた場所で、わたしは中学生になり高校生になった。
いつの間にか大人と呼ばれる年になって、今は一人で暮らしている。
母が毎日眺めに行っているという海岸へ、連れて行ってもらった。
分厚い雲に覆われて綺麗な夕陽が見せられないと残念がっていたけれど、
薄暗く少し荒れたこの海には十分惹かれるものがあった。
広大な場所では、いくら歩いても進んでいる実感が持てないのだと体感した。
月を追いかけても、ちっとも近付けない感覚に似ていると思った。
改札で見送られるという慣れないシチュエーションの後、
帰りの電車で、いつも考えてしまう。
いつまで元気でいてくれるだろう..
泣きそうになりながら帰る。
最近、本当に涙脆い。
一体どうしてしまったんだろう。