こんばんは。

突然ですが、
急に寂しさの波が押し寄せてくることって
ありませんか?

私もよくそうなる時期があって、
今まさにそんな状態です。

部活が終わってもうすぐ受験。
部活の友達も、顧問の先生も、
当然ながら当時よりは離れていくわけです。

でもそのことが異常に寂しい。
なにもなくなってしまうような喪失感。

そんなものがうわーっと押し寄せてくるときが
あります。

でもなかなかそんなわけのわからない悩みなんて人に言えません。

どうしようか、気持ちを落ち着けるために
今文章にしてみています。


そもそも、私がどうしてこんなに親しくなった人との距離ができることに寂しさ…を通り越して喪失感や恐怖を感じてしまうのか。

それは、今までの経験から考えれば
大方簡単に説明はついてしまうと思います。

なにも話していないので、きっとなにを行っているか伝わらないと思いますが、
それでも私は今までの生活に言い訳せずに
これから生きていきたいと思っています。

だから、方向性としては今どうしたらいいのかな、というのを見つける目的を持っていきたいと思います。


それはそうと、
一般的に考えてその経験ってなんなんだろう。
ということになりますが、
私の場合それは、
自分がアダルトチルドレンであることが
大きいのかなという印象です。

私の母親は親族関係のトラブルが原因で
鬱病を発症し、現在もパニック障害や適応障害と言った持病を抱え、精神科に通院しています。

幼い頃は発作が起きるのが怖くてたまらず、
母の発作が起きやすい夜になると不安で 
押しつぶされそうでした。

外へ出ればれっきとしたトラブルメーカーに
なり、周りの目は厳しいものです。

でも、蛙の子は蛙、とばかり言いたげな世間の目を避けて、誰にも相談できない日々が続きました。

そもそも、自分の苦悩を認めたくないあまり、
そんな経験を人に相談するような苦労だと自分で認識することもできませんでした。

すると当然、ほかのみんな一緒な苦労なんてなんでもないように思えて、運動も、勉強も、芸術も、人並み以上にオールマイティになるまであまり頑張らなくてもできるようになっていました。(本当は努力したはずですが、少なくとも努力をそれと感じられなかったわけです。)嫌なこともある程度スルーできるお陰で、前向きでなんでもできるすごい子!という評価がついて回るようになりました。本当は全然すごい子でもなんでもないんですけど…。ますます、できる子でいなきゃ、という意識から、弱みを見せられなくなりました。

恵まれたことに、私のことを安心させてくれるような友達や先生に出会い、こんな幸福感や安心感があるのか、と思うほど救われた思いをする経験はしましたが、学年が上がったり学校が変わるたびに、結局ずっと一緒にいてくれるわけではないんだ…、と、
当たり前のことに必要以上に傷ついてきました。

多分、その人たちには求めるべきでないような
愛情を求めてしまったからかな、と今では思います。

それでも、その人たちとの関わりは本当に大切なものになっていますし、その経験が自分の心を今でも励ましてくれます。

またそんなエピソードは機会があれば書こうと思います。

とりあえず、こんな感じに今まで過ごしてきたのもあって、自分の苦労や、逆に至らなさを認めてくれる人の愛を渇望してしまう部分はあると思います。

ただ、自分はだからといってこれからも親の需要や他人の要求を察して答える、ということだけで愛を得る人生は嫌だ、と思うわけです。
その度に何度も自分の心の中で葛藤があります。
それでも愛がもらえるならいいじゃないか、
それなしに自分が愛される方法ってあるの?と。

もちろん全くなしではいけないのですが、 
もう少し自分の希望に耳を傾けて、
外の世界に自分を開きたいです。

実現するのは難しくても、自由になりたい。

だから、私の場合は、
今しても誰も喜ばない勉強をして、大学に行く。

この先力になってくれるかもしれない今周りにいる人を大切にする。
自分に将来帰ってくるかもしれない愛情の貯金をその人たち宛にさせてもらう。

そして、そういうことに一生懸命になることで、自分も言われようのない寂しさから解放される。

そんな風にして、他人の人生から自分自身の人生に車線変更していきたいと思うんです。

せっかく困った状況で培われた要領の良さがあるので、それは生かして、いい意味で自分一人でもいきていけるような、人を守れるような強さや優しさを身に付けたいです。

親子間で伝染しがちだと言われる負の連鎖を
断ちたいと思っているたくさんの人の文章に
勇気をもらいつつ、
その一端で自分もあれたらと思います。


どうしようもない寂しさって、
本当に対応の仕方がわからなくて辛いけれど、
自分の力になってくれる人を愛して、
自分のことも思い切り愛することで、
自分自身を認めて、
これからを見直すきっかけになればいいなと
願っています。