ジョルジュドンのこと(111)それはないです、森下洋子さん | 病気だらけのブログ

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読み専門でしたが、天才・努力家のダンサーながら過小評価されているジョルジュ・ドンの事を書くために始め、洋楽、マイケルジャクソン、ドストエフスキー、旅行、ユダヤ資本、政治、経済、社会問題などランダムに書いています。

森下洋子さんのある種自伝本?「バレリーナの情熱」

以前、ドンのことが書いてあるから読みました。森下さんの事は、名前だけ知っている程度の認識度でした。読み終わって、自伝?の後ろに、森下さんと小野島さんの対談が載っているのですが、それを読んでショックというかドンのファンからすると「なんて人!」と悲しい気持ちになりました。

 

この本は、とどのつまり有名なダンサー(ドンとヌレエフ)と踊った(し、ベジャールが初めて女性を主役にしたバレエを自分をミューズに)ので私は凄いバレリーナだと言いたい本のようでした。

実際踊ったし、お上手なのだと思いますから、経歴を誇らしく思うのも理解できます。

 

そのため、ドンとの出会いからベジャールに起用されるまで、そしてドンについてもそれなりのページが割かれていました。ヌレエフやマーゴ・フォンテーンについても同様に語られていました。

 

「ベジャールが初めて女性を主役にしたダンスを踊った」と森下さん書かれていましたが、ボレロは女性を主役にして創られていました。この本は1994年発売で、ライトは1981年。->ベジャール作品の最も有名な作品の一つにもバレリーナで一緒に仕事までして関心がないよう)

 

ドンが日本を離れて一人頑張る森下さんに、

「凄いね。」

と言うので、私は(森下さんは)強く、ドンは弱いような印象を得るのですが、「凄いね」とどういう言葉で表したのか分かりませんけど、解釈が幸せだと。

 

本には、ジョルジュドンのこと

という項目まで作ってドンのことも述べられています。

 

そして、巻末の小野島氏との対談(下記)

 

森下さん:

”私、ルドルフのお葬式に行ったんです。オペラ座での・・・泣いてしまいました。分かってはいましたけど。・・・それでドルフの1か月後にはジョルジュ・ドンが亡くなってドンも素敵な方でしたよ。静かでね。

小野島氏:

”あっ、そうなの ボレロを見るとそんな感じしないけど”

森下さん:

私について一緒に行ってた人が、「母性本能をくすぐらちゃうな」なんて言って、だから私は「お茶持って行ってあげたら?」「汗拭いたら?」とか言っていたんだけどね・・・ ”

 

ドンはヌレエフより先に亡くなっています!

本で、あそこまでドンの話題を振りながら、感謝してると書きながら、ヌレエフへの思いも熱く語りながら、本にたくさん書くくらい大切な人の亡くなった順番を間違えますかね?一緒にダンスをして、多くの時間を一緒に過ごした相手です。

 

ドンも素敵な方でしたよ。静かでね。”

一緒に行ってた人は母性本能をくすぐられたと言っておられましたが森下さんは「素敵な方でしたよ、静かでね」です。

 

また、森下さんは本で、ダンスの腕前はヌレエフとドンを比較するのはヌレエフに失礼というようなニュアンス。クラシックバレエの規定にのっとっているのはヌレエフかもしれない。でも腕前は私はむしろ逆だと。ドンと比較しないまでも、他のクラシックのダンサーと比べてもヌレエフが知名度に釣り合う程なのか?と疑問です。ヌレエフは愛嬌があるダンサーだと思いますが。ドンのようにメディアサービスをしないなら人気はどうだったでしょうか?

 

そういえば、ヌレエフの記事も下書きのままだ・・・・

 

「ヌレエフが有名なのは、ロシアから西側に亡命した初めてのダンサーだったから」と評されているのを見て、納得しました。冷戦真っ只中でしたからなおさらアイコン、アイドルのように過大に取り上げられたと。同じ亡命者でもバルシニコフはロシアでも人気だったんだろうと踊りを見ると思いますが、ヌレエフは凄さが分かりません。

 

 ドンが森下さんに「凄い」と言ったのは、「凄くドライな人。何事も都合よく解釈できて凄い」という意味ではないかと、本を読んで感じました。

 

そして小野島さんも、2人の有名ダンサーの死という大切な出来事の順番の間違いに気が付かないし

更に出版社も!

 

ドンが読んでいない事、ドンの家族も目にしていない事だけがまだましですが、不快感を超えて「唖然」でした。

翻訳されてないのは不幸中の幸いです。

 

ちなみに本のお値段1円~アマゾンで売られていて(送料がその250倍)、

評価は5点満点中4,5(アマゾン)

 

ドンの行動の動機を彼女は自分の推測だけで、書いていましたが、そうなのだろうか?と思われる記述があり、ドンがかわいそうでした。

ドンは説明や言い訳をしない人だから「わがまま」と受け取っていただけでは?

 

ベジャールが他人に対して、きついことや、止めさせることをバシバシ言っても、ドンがフォローしていたようです。

既にドンが芸術監督でしたが、実際は監督はベジャールのまま(想像通り)。

 

ライトの踊り、好きな作品ですが、

「踊れて、時間が取れて、できれば体重が軽いバレリーナ」を探していたのではないかと。何人かの候補のうち森下さんになったのではと。

 

ウィーンよウィーン お前だけを 

1982~1983年頃

 

前も貼ったけれど、森下さんとドンの「ライト」

ドンが素晴らしい、美しい。ズボン足首当たりのヒラヒラが可愛い。