広島74回目 「原爆の日」  共感すること 語り継ぐこと | 病気だらけのブログ

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読み専門でしたが、天才・努力家のダンサーながら過小評価されているジョルジュ・ドンの事を書くために始め、洋楽、マイケルジャクソン、ドストエフスキー、旅行、ユダヤ資本、政治、経済、社会問題などランダムに書いています。

本日、広島で74回目 「原爆の日」です。

 

原爆ドームのあたりは、今は公園ですが当時は広島では繁華街で多くの人で賑わっていたそうです。

民家への全国にばらまいた焼夷弾、沖縄戦線もそうですが、人のする行為ではないです。

 

共感、他人の痛みを感じる人だらけであれば、戦争など起こらないと思います。

 

死者以外にも原爆の後遺症に亡くなるまで苦しまれて(た)人は死んだ方以上の数いらっしゃるでしょう。

 

広島への原爆投下の翌日に広島入りした方が、その後、原爆記念館の正面に飾られた丸木夫妻の原爆の絵を見て「こんなもんじゃない。もっと悲惨だった。」と怒って入らずに帰ってしまったと(昨日のNHKの放送で)。

参考までに丸木夫妻の絵を最後に貼らせて頂きました。

 

昨日、NHKでヒロシマを描き続けた四國五郎さんについて放送がありました。

四國五郎さんは広島出身でシベリア抑留され(それだけでも大変悲惨な体験)、原爆投下3年後に広島に戻り、そこで弟の死を知りました。痛切な原爆投下の批判を心に置きながら、オブラートに包んで皆に観てもらえるような柔ら絵や作にメッセージを込めていくつも作品を残し、語り継がれるように、それが自分の使命だと思ったそうです。

絵に込めたメッセージの巧さ、絵の巧さにも感心しました 。紹介された作品を見て頭も良かったんだろうと思いました。

放送された絵でnetで引っかからないもの少なからず。

 

↓下の挿絵付き本について

左のページの題名は「ものいわねで」です。

右ページは在りし日の弟さんでしょう。

 

「ものいわねで」

(右側ページの一部のみ文字興し)

・・・・

この黒い土の上で

くらい原子雲の下で

死んでいった人々よ

弟よ

何をかんがえる

・・・

・・・

 

四國五郎 作・絵

 

四國五郎

 

四國五郎 絵

亡くなった母の傍で、呆然とこちらをみつめる幼子

 

四國五郎さん

 

誰にも知ってもらえず理不尽な死に方をした人達、子供達。

 

NHKで紹介された絵に(netで見つからなかった)

戦後、修学旅行で中学生くらいの学生が広島記念公園付近に緑色の制服を着て大勢いて、その中に多くの原爆のチャコールがかった黒で描かれた被害者達も混ざっている絵が紹介されました。被害者等の服には名札も、死んでいる人があるところを指さしていて、その近くの現在の学生はその指を指した方を見ているのも描かれていました。

絵は多くを語る(ゴヤの絵のように)。人の解釈を与える絵ですが、私は彼らの犠牲の上に今の平和があるという考えは、犠牲に意味を持たせるというのは、加害者や支配者の都合のいい解釈で好きではありません。で、その絵は、ここで起きたことの延長が今で、この出来事についてはいつの時代も共感しながら対話し続けなければならない繋がっているというメッセージに思いました。

 

長崎の被爆者に「平和のための犠牲者」と収めたローマカトリック指導者の言葉はあり、それによって長崎のキリスト教信者の一部は、被爆後、「神はいない」と思ってしまったけど、「平和のための犠牲者」と言う言葉で、神がいて自分らを差し出したのだと納得した人もいらっしゃったそうです。

欧州の宗教の政治利用の長年のやり方です。これは加害者思考で、責任追及せず、犠牲者を賠償や謝罪償い無しでも犠牲は神のご意志で意味があると納得させる卑怯な言葉でしかしかないと思います。かつての欧州では、貧しい人々、理不尽なことがあっても「それは神のご意志、御心」で片付ける便利な方便を使っていました。

 

丸木夫妻の絵

現実はこんなものでは無かったそう。

 

アメリカには原爆の被害写真も資料も多く残っているはずです。被災した日本人が残せたのは後日に書かれた絵くらいだとおもいます。写真や記録を日本人に見せて欲しい。

そして、NHKには風化させないために、放送し続けて欲しい。

戦争に関するNHKの番組はアメリカや天皇に配慮した番組ばかり、焼夷弾をまいた原因はアメリカの陸軍の一部の暴走のせいとか、第二次世界大戦をヒトラーやナチスに押しつけて片付けたように、一部の暴走などと都合のいい話になってしまっています。戦争は国家戦略であって、本当の計画(真実)や、人を人と思ってないからできたという話は少しもされません。

 

何処の場所でも、戦争は起きて欲しくないです。