ディスカ・シフォニスのボレロを貼りたいと思っていたら、ボレロ=>ラヴェル=>ディアギレフと繋がるので、・・・この後ろの方から。
ジョルジュドンの話は今回無しです。
ボレロの作曲家、ラヴェルは前衛的な作曲家でした、ディアギレフはラヴェルに「ダフニスとクロエ」の作曲を依頼します。振り付けはニジンスキーとライバルだったバレエ・リュスにいたフォーキン。
(ラヴェルも後に前衛的では無くなっていき、ボレロ作曲の頃は病気で作曲は進んでいなかった)。
フォーキン ↑
ディアギレフの本は、いくつも出版されていますが、ニジンスキーの書籍も書いた、鈴木氏も日本刊行として出しています。それを読まずとも
wikiにも大まかに功績が書かれています。が、それだけでも凄い人なのは分かります。
https://ja.wikipedia.org/wiki/セルゲイ・ディアギレフ
ベジャールはディアギレフがいなかったら、名前を残していなかったかもしれません。20世紀バレエ団も無かったかもしれません。
「春の祭典」も「火の鳥」もディアギレフが作曲させたものですし、コンテンポラリーバレエの道を開いたのもディアギレフだと思うからです。
ベジャールは春の祭典の成功で、ベルギーの支援を受けれました。
ディアギレフは、そもそも作曲家になりたかった人ですが、作曲の才能が無いと分かり、義母の遺産で、芸術品を買い、前衛的な芸術家の紹介を行います。
かなりの功績を残しながらも、自身のことを「ペテン師の魔術師のような人間だ」といっており、その辺も好きです。
(ニジンスキーが病んだことに関連付けられることもあるディアギレフですが、ニジンスキーの解雇後、マシーンがバレエ・リュスの花形ダンサーとなり、ディアギレフの恋人になりましたが、マシーンもディアギレフに切られました。でもマシーンは精神を病んでいませんし、活躍しました。ディアギレフが亡くなった後はバレエ・リュスを引き継ぐ活動もしました。)
ディアギレフの活動の源は何か知らんと思うと、やはり同性愛者だったことが大きいのかなと思います。
自分自身のことを見つめつつ、同性愛者と社会の既成概念の狭間で、既成概念を壊したいという考えを持ったのでは無いかなと思います。
作曲や絵画、オペラ、バレエと関わった世界が広いながら、それら芸術の中でも前衛的なものに関わってきました。
彼は幾つもの芸術作品を残すことに貢献しました。作曲を生み出し、コンテンポラリーバレエ(バランシンも一員)という前衛的なものを世に示しました。バレエ人も世に出しました。ベジャールも間接的にその一人では無いかと思います。
ロシア皇帝の時代は大公や皇帝から資金援助を受けていましたが、皇帝が滅び、資金に困り、ディアギレフは私財も使い果たし、差し押さえを受ける破産状態でした(それも芸術のため)。それでも、先を見越してラヴェル(ボレロの作曲家で当時は前衛的な作曲家だった)やストラビンスキー(火の鳥、春の祭典の作曲家)に作曲を依頼しました。
当時の印象画の画家、ピカソやマティスやミロなどが後の彼が主宰したバレエ・リュスの舞台画を書き、ココシャネルはバレエのオーケストラのお金全額+α(かなりの大金だったらしい)を支援したそうです。彼らは当時、前衛的な芸術家でした。
そんな彼らはディアギレフに賛同したということで、賛同したくなる優秀な人であり、求心力があり、上手にやり通す興行師だったからだと思います。
初期の活動では、『芸術世界』という雑誌も刊行し、ビアズレー、モネをはじめとする西欧の新しい美術や、ロシアの前衛画家の作品、さらに歌川広重や葛飾北斎にいたる幅広い芸術を紹介し続けた。(wikiより)
ディアギレフは、自分が素晴らしいと思う作品を人に知ってもらいた気持ちで突き進んでいた人なのかもしれません。
セローフが描いたディアギレフ
ベジャールは、ディアギレフを意識していたと思います。
イメージのいいディアギレフを目指していたかもしれません?
先日のノートルダム寺院修復の多額の寄付も、グローバルファッションブランド各社でした。ディアギレフのパトロンの一人にココシャネルがいたということで昔から、ファッションブランドは潤沢な財力を持っていたんだなぁと思います。余談です。