7月16日土曜日。曇り。
今日は、早起き♪
朝、部屋で用意してたら、ドアの下から封筒が差し込まれた。
・・・・やった~!
20ユーロ返って来た!
(↑何のことかわかんない方は、ベルギー1日めのブログをご覧下さい。)
あのあと、両替機の管理会社(?)にメールしたのに、連絡ないし、チェックアウトする前に、もう1回フロントに言わなきゃと思ってたから、よかった~!
準備が終わると日本に電話。
兄と甥っこが昨日、今日と1日違いの誕生日なので、一言いっとかないと。
昨日、ブルージュに行ったって、兄に言うと、新婚旅行でこの近辺に来た兄は、「俺たちのマネ、すんなよ~」って。
新婚旅行の話なんて、一言も聞いてませんけど!?
まあ、兄たちが旅行に行ってる間に、兄のパソコンを使って、誤ってデータを全部消してしまって、そのままNYに戻ってきたのは、この私ですけど。。。
まあそれはおいといて。
大阪は暑いみたいで、3歳の姪っこが電話に出て、これからベランダでプールするねん、と言ってた。かわいい。。。
こっちは、20度ぐらいかな。
薄手の長袖2-3枚はおって、ちょうどいい気候。
電話を切って、ホテルをあとにする。
駅に向かう途中。
土曜の朝7時のブリュッセルは、ホテルの隣のバーがオールナイト営業してたらしく、まだ飲んでる客を見た以外は、びっくりするぐらい閑散としてて、宴のあとのゴミがそこらじゅうに散乱してて、まったく美しくない。
早足で駅へ。
今日は、7:22の電車で、アムステルダムに向かう!
地球の歩き方をなくしてしまったけど、アムステルダムのところは読み込んでいたし、前にアムステルダムに駐在してた友達から、結構情報をもらってるから、何とかなるはず。
見どころ満載で、楽しみ!!
途中で乗り換えて、3時間弱で、アムステルダム到着!
ホテルに荷物を置いて、街へ繰り出す。
まずは美術館へ。
ゴッホ美術館。
Van Gogh Museum
私は、ゴッホの画が大好き!
ここで、あの「ひまわり」が見れるとあって、めちゃめちゃ楽しみにしてた。
ゴッホは、16歳でアートギャラリーで働き始め、宗教にのめり込んでクビになり、宗教家になろうとしたけど、いわゆる契約社員どまりでクビを切られた。無職のゴッホは、画を描いた経験もないのに、弟の助言で27歳で画家を志す。1880年ごろ。
ゴッホが耳を切ってしまったのは有名な話。夢のアーティストコミュニティーを作ろうと、ゴーギャンをアルルの自分の家に住むように説得して、同居するようになるが、彼との口論の末、自分の耳を切ってしまったらしい。
活躍したのは、ほんの10年。1890年に自殺。絵が売れ始めたのは、死んだあとになってから。ゴッホが賞賛を浴びることなく、この世を去ってしまったことが惜しまれる。
パリでの生活に疲れたゴッホが移り住んだのが、南仏のアルル。私が、2日前までいた場所!
ゴッホとアルルの深いつながりが、ここにあって、この旅の不思議なつながりを感じてしまう。アルルには確かに、ゴッホが入院してた精神病院もあったし、彼が画を描いた、跳ね橋もあった。
でも、100年以上も前に、あの一面のひまわり畑やオリーブ畑、プロヴァンスの豊かで美しい自然にゴッホも魅せられていたことを、ここで改めて知って、なんだかうれしくなってしまう。
そして、ゴッホと日本のつながり。
歌川広重や版画に強く影響を受けて、広重の画の模写や、当時の日本画のように、影のない画を描いたりもした。
オランダが日本の鎖国時代も、日本と交流があったのは、歴史の時代で習ったけど、まさか、あのゴッホまで、こんなにも日本に強く影響を受けていたなんて驚き!世界のゴッホにも影響を与える、日本の文化を誇らしく思う。日本に帰ったら、広重や北斎の作品を見に行きたいな。
私は、ゴッホの黄色の使い方が、大胆で好き。
あの有名な「ひまわり」の画は、黄色の背景の上に黄色!みたいな。
黄色は、元気になる色。
てんかんの発作に苦しむようになったゴッホが、精神病院に出入りするころから、黄色をより多用するようになる。初期のころは、暗い色調の画が多かったのに。黄色は、ゴッホにとって、ハイになる色だったのかな。
生きてる間は、売れなくて、何度も恋に破れて、病に苦しんで、最期は自ら命を絶ってしまった悲劇の画家・ゴッホ。
こんなにすばらしい画をたくさん描いて、まだたった10年のキャリアだったのに。もし、ゴッホが1900年にパリの来たピカソに出会っていたら、どんな画を描くようになっただろう。ピカソみたいに90歳ぐらいまで生きてれば、どんな変化を遂げただろう。リアリストから、抽象画を描く画家になっただろうか。
Ifは、あり得ないけど、そんな想像をしてみたくなった。
11時半ごろに、ゴッホ美術館に入って、出たのが、2時すぎ。そんなに大きい美術館じゃないのに、じっくり見てたら時間を忘れた。
レストランにランチに入ると、雨が降ってきた。
ここは、空が灰色で、寒い。
アムステルダムらしい、橋と、自転車と、運河の絵。
ランチが終わる頃には小雨になってきたので、行動再開!
と思って、一歩踏み出してみたものの、寒いッ!!!
雨も小雨ながら降ってるし。
次行くところが、夜10時までやってるのを確認して、ひとまずホテルに戻って、チェックイン&上着を取りに行く。
WiFiを使って、ネットで気温をチェックすると、16度。体感温度は12度!
雨も降って、濡れるから寒く感じる訳だわ。
体をあっためる、プラス体力温存のため、ちょっとお昼寝♪( ´▽`)
起きたら、手持ちの薄着の服をかき集めて、着る着る!
キャミ、Tシャツ、シャツ、薄いカーディx3、薄いウィンドブレーカー、ストールと7枚着込んで、何とかいけそう。
確かに寒がりの私だけど、12度って、11月か12月の気温じゃない?信じられない。7月にしては寒すぎる!
寒さ対策を万全にして、いざ出発!
目指すは、アンネ・フランクの家。
さっき、ネット情報によると、いつ行っても並んでる、とのこと。この悪天候でも行列できてるだろうという覚悟で行くと、案の定、長い列。
まあいいか、と、並び始める。
約20分ほどで、中に入れる。
Anne Frank Huis
恥ずかしながら白状すると、私は「アンネの日記」を読んだことがない。読む機会がなかった。
NYに住んでいると、多くのユダヤ人に出会うし、彼らの宗教上の慣習を知る機会も多い。
どうしてこんなに、NYにはユダヤ人が多いんだろうと思っていたけど、今回、身をもって理解した。
ナチスドイツが、罪のないユダヤ人を差別し、強制収容・虐殺した歴史。ユダヤ人は、故郷から逃げるしか、生き延びる方法がなかったのだ。
アンネとマーゴという、愛らしく聡明な姉妹は、ナチスから逃れるために、十代の多感な時期に、2年間も家族や友人たちとともに、本棚の裏の隠し扉の向こうにある、事務所の裏の部屋に声をひそめ、足音を立てないように住んで、表の世界と隔離されて生きていた。
表に出れば、ユダヤ人というだけで、黄色い星のバッジを付けさせられ、所有物を奪われ、しまいには連行されて、殺される。
結局、アンネ一家は、何者かに密告されたあと、強制連行され、アンネは収容所で病気にかかり、短い生涯を閉じる。
私は今まで、ユダヤ人というのは、クリスチャンがキリスト教を信じるように、ユダヤ教やその考えを信じる人たちというくくりで考えていたけど、違う。それはもっと深いもので、宗教以前にユダヤ人の人々の血に流れているもの。
それを否定して、それが理由でなぶり殺されるなんて、どうやっても許されることじゃない。
「過去は変えられない。でも過去を学んで、よりよい未来を作ることはできる。」
そういう考えから、アウシュビッツから生還したアンネの父が、アンネの日記を公開したらしい。
ここで忘れちゃいけないのは、戦時中、日本もアジアの国々に、同じようにひどいことをした歴史があること。
当時は戦争中だった。戦争が人々を狂わせた。そう言うのは、あまりにも簡単すぎる。
過去の反省をして、何があっても、誤ちを繰り返さない、戦争を起こさないということを、アンネや多くの戦争の犠牲者に誓いたい。
ミュージアムショップには、各国語のアンネの日記の本が売っていた。遅ればせながら、私も一冊購入して、旅の道中に読もうと思う。
今回、ユダヤ人やナチスドイツのことを知って、もっとその歴史を知りたくなった。
明日から、ドイツに入るけど、ほんの2、3日だけ。いつか、その悲しい歴史をたどる機会があったら、ぜひもっと深く知りたい。
さて、アンネの家を出たら、もう8:30近く。
まだ雨が降っている。
ぷらぷら散策♪
西教会。
新教会。
宮殿。
ダム広場。
レンブラント広場。
ホテルのフロントの人に教えてもらった、グルメエリアで、ディナー。
まずは、アムステルダム生まれのハイネケン。一人で、かんぱ~い!
冷たいうなぎ。これが、おいしい!!
ムール貝。熱くて、ちょっぴりスパイシー。
ビールとこのメニューで、冷えた体がほかほかに♡
帰りは、この跳ね橋を通って。
明日は、晴れるといいな。
今日は、お風呂に浸かってゆっくり寝ようっと!
iPhoneからの投稿
今日は、早起き♪
朝、部屋で用意してたら、ドアの下から封筒が差し込まれた。
・・・・やった~!
20ユーロ返って来た!
(↑何のことかわかんない方は、ベルギー1日めのブログをご覧下さい。)
あのあと、両替機の管理会社(?)にメールしたのに、連絡ないし、チェックアウトする前に、もう1回フロントに言わなきゃと思ってたから、よかった~!
準備が終わると日本に電話。
兄と甥っこが昨日、今日と1日違いの誕生日なので、一言いっとかないと。
昨日、ブルージュに行ったって、兄に言うと、新婚旅行でこの近辺に来た兄は、「俺たちのマネ、すんなよ~」って。
新婚旅行の話なんて、一言も聞いてませんけど!?
まあ、兄たちが旅行に行ってる間に、兄のパソコンを使って、誤ってデータを全部消してしまって、そのままNYに戻ってきたのは、この私ですけど。。。

まあそれはおいといて。
大阪は暑いみたいで、3歳の姪っこが電話に出て、これからベランダでプールするねん、と言ってた。かわいい。。。

こっちは、20度ぐらいかな。
薄手の長袖2-3枚はおって、ちょうどいい気候。
電話を切って、ホテルをあとにする。
駅に向かう途中。
土曜の朝7時のブリュッセルは、ホテルの隣のバーがオールナイト営業してたらしく、まだ飲んでる客を見た以外は、びっくりするぐらい閑散としてて、宴のあとのゴミがそこらじゅうに散乱してて、まったく美しくない。
早足で駅へ。
今日は、7:22の電車で、アムステルダムに向かう!
地球の歩き方をなくしてしまったけど、アムステルダムのところは読み込んでいたし、前にアムステルダムに駐在してた友達から、結構情報をもらってるから、何とかなるはず。
見どころ満載で、楽しみ!!
途中で乗り換えて、3時間弱で、アムステルダム到着!
ホテルに荷物を置いて、街へ繰り出す。
まずは美術館へ。
ゴッホ美術館。
Van Gogh Museum
私は、ゴッホの画が大好き!
ここで、あの「ひまわり」が見れるとあって、めちゃめちゃ楽しみにしてた。
ゴッホは、16歳でアートギャラリーで働き始め、宗教にのめり込んでクビになり、宗教家になろうとしたけど、いわゆる契約社員どまりでクビを切られた。無職のゴッホは、画を描いた経験もないのに、弟の助言で27歳で画家を志す。1880年ごろ。
ゴッホが耳を切ってしまったのは有名な話。夢のアーティストコミュニティーを作ろうと、ゴーギャンをアルルの自分の家に住むように説得して、同居するようになるが、彼との口論の末、自分の耳を切ってしまったらしい。
活躍したのは、ほんの10年。1890年に自殺。絵が売れ始めたのは、死んだあとになってから。ゴッホが賞賛を浴びることなく、この世を去ってしまったことが惜しまれる。
パリでの生活に疲れたゴッホが移り住んだのが、南仏のアルル。私が、2日前までいた場所!
ゴッホとアルルの深いつながりが、ここにあって、この旅の不思議なつながりを感じてしまう。アルルには確かに、ゴッホが入院してた精神病院もあったし、彼が画を描いた、跳ね橋もあった。
でも、100年以上も前に、あの一面のひまわり畑やオリーブ畑、プロヴァンスの豊かで美しい自然にゴッホも魅せられていたことを、ここで改めて知って、なんだかうれしくなってしまう。
そして、ゴッホと日本のつながり。
歌川広重や版画に強く影響を受けて、広重の画の模写や、当時の日本画のように、影のない画を描いたりもした。
オランダが日本の鎖国時代も、日本と交流があったのは、歴史の時代で習ったけど、まさか、あのゴッホまで、こんなにも日本に強く影響を受けていたなんて驚き!世界のゴッホにも影響を与える、日本の文化を誇らしく思う。日本に帰ったら、広重や北斎の作品を見に行きたいな。
私は、ゴッホの黄色の使い方が、大胆で好き。
あの有名な「ひまわり」の画は、黄色の背景の上に黄色!みたいな。
黄色は、元気になる色。
てんかんの発作に苦しむようになったゴッホが、精神病院に出入りするころから、黄色をより多用するようになる。初期のころは、暗い色調の画が多かったのに。黄色は、ゴッホにとって、ハイになる色だったのかな。
生きてる間は、売れなくて、何度も恋に破れて、病に苦しんで、最期は自ら命を絶ってしまった悲劇の画家・ゴッホ。
こんなにすばらしい画をたくさん描いて、まだたった10年のキャリアだったのに。もし、ゴッホが1900年にパリの来たピカソに出会っていたら、どんな画を描くようになっただろう。ピカソみたいに90歳ぐらいまで生きてれば、どんな変化を遂げただろう。リアリストから、抽象画を描く画家になっただろうか。
Ifは、あり得ないけど、そんな想像をしてみたくなった。
11時半ごろに、ゴッホ美術館に入って、出たのが、2時すぎ。そんなに大きい美術館じゃないのに、じっくり見てたら時間を忘れた。
レストランにランチに入ると、雨が降ってきた。
ここは、空が灰色で、寒い。
アムステルダムらしい、橋と、自転車と、運河の絵。
ランチが終わる頃には小雨になってきたので、行動再開!
と思って、一歩踏み出してみたものの、寒いッ!!!
雨も小雨ながら降ってるし。
次行くところが、夜10時までやってるのを確認して、ひとまずホテルに戻って、チェックイン&上着を取りに行く。
WiFiを使って、ネットで気温をチェックすると、16度。体感温度は12度!
雨も降って、濡れるから寒く感じる訳だわ。
体をあっためる、プラス体力温存のため、ちょっとお昼寝♪( ´▽`)
起きたら、手持ちの薄着の服をかき集めて、着る着る!
キャミ、Tシャツ、シャツ、薄いカーディx3、薄いウィンドブレーカー、ストールと7枚着込んで、何とかいけそう。
確かに寒がりの私だけど、12度って、11月か12月の気温じゃない?信じられない。7月にしては寒すぎる!
寒さ対策を万全にして、いざ出発!
目指すは、アンネ・フランクの家。
さっき、ネット情報によると、いつ行っても並んでる、とのこと。この悪天候でも行列できてるだろうという覚悟で行くと、案の定、長い列。
まあいいか、と、並び始める。
約20分ほどで、中に入れる。
Anne Frank Huis
恥ずかしながら白状すると、私は「アンネの日記」を読んだことがない。読む機会がなかった。
NYに住んでいると、多くのユダヤ人に出会うし、彼らの宗教上の慣習を知る機会も多い。
どうしてこんなに、NYにはユダヤ人が多いんだろうと思っていたけど、今回、身をもって理解した。
ナチスドイツが、罪のないユダヤ人を差別し、強制収容・虐殺した歴史。ユダヤ人は、故郷から逃げるしか、生き延びる方法がなかったのだ。
アンネとマーゴという、愛らしく聡明な姉妹は、ナチスから逃れるために、十代の多感な時期に、2年間も家族や友人たちとともに、本棚の裏の隠し扉の向こうにある、事務所の裏の部屋に声をひそめ、足音を立てないように住んで、表の世界と隔離されて生きていた。
表に出れば、ユダヤ人というだけで、黄色い星のバッジを付けさせられ、所有物を奪われ、しまいには連行されて、殺される。
結局、アンネ一家は、何者かに密告されたあと、強制連行され、アンネは収容所で病気にかかり、短い生涯を閉じる。
私は今まで、ユダヤ人というのは、クリスチャンがキリスト教を信じるように、ユダヤ教やその考えを信じる人たちというくくりで考えていたけど、違う。それはもっと深いもので、宗教以前にユダヤ人の人々の血に流れているもの。
それを否定して、それが理由でなぶり殺されるなんて、どうやっても許されることじゃない。
「過去は変えられない。でも過去を学んで、よりよい未来を作ることはできる。」
そういう考えから、アウシュビッツから生還したアンネの父が、アンネの日記を公開したらしい。
ここで忘れちゃいけないのは、戦時中、日本もアジアの国々に、同じようにひどいことをした歴史があること。
当時は戦争中だった。戦争が人々を狂わせた。そう言うのは、あまりにも簡単すぎる。
過去の反省をして、何があっても、誤ちを繰り返さない、戦争を起こさないということを、アンネや多くの戦争の犠牲者に誓いたい。
ミュージアムショップには、各国語のアンネの日記の本が売っていた。遅ればせながら、私も一冊購入して、旅の道中に読もうと思う。
今回、ユダヤ人やナチスドイツのことを知って、もっとその歴史を知りたくなった。
明日から、ドイツに入るけど、ほんの2、3日だけ。いつか、その悲しい歴史をたどる機会があったら、ぜひもっと深く知りたい。
さて、アンネの家を出たら、もう8:30近く。
まだ雨が降っている。
ぷらぷら散策♪
西教会。
新教会。
宮殿。
ダム広場。
レンブラント広場。
ホテルのフロントの人に教えてもらった、グルメエリアで、ディナー。
まずは、アムステルダム生まれのハイネケン。一人で、かんぱ~い!
冷たいうなぎ。これが、おいしい!!
ムール貝。熱くて、ちょっぴりスパイシー。
ビールとこのメニューで、冷えた体がほかほかに♡
帰りは、この跳ね橋を通って。
明日は、晴れるといいな。
今日は、お風呂に浸かってゆっくり寝ようっと!
iPhoneからの投稿













