ミネアポリスで黒人男性が白人警官に首を圧迫されて死亡した事件に抗議する動き。
アメリカに暮らしてもうじき20年。今まで、何度こういった悲劇を見聞きしてきただろう。今回、正直、「またか」という思いがよぎった。この数ヶ月だけで、罪のない市民が、黒人というだけの理由で、白人や、警察官に殺された事件が、何件も起きている。ここ10年ほどでも、大きく取り上げられた事件だけでなく、身近な家族が殺された黒人はたくさんいる。今から100年ぐらい前には、マンハッタンで、アイリッシュ系アメリカ人が黒人をリンチしたりとか、南部では、もっとひどいやり方で、黒人を殺したりとか、本当にアメリカの人種差別問題は、根深い。歴史がありすぎて、外国人の私には、すべてを理解できないと思う。ただ、これだけ多様性が広がっている21世紀の今でさえ、これほどまで、黒人が差別され、市民を平等に守るべき警察官に殺される。まるで、100年前から変わっていない。私たちは歴史から、いったい何を学んできたんだろう。
今回、Black lives matterのうねりが、これほど大きくなったのは、コロナ禍で多くの人が家にいて、ずっとネットを見ているような状況だったからというのも一因だと思う。ニュースで伝えられるのは、コロナへの感染率や死亡率が高いのは、もともと持病を抱えていたり、健康保険がないために医者にかかれなかったり、さらに、衛生状態や栄養状態のよくない、黒人やヒスパニックの人々。多くの人がリモートワークで家にこもってる間に、スーパーやデリバリー、介護の仕事に出て、感染の危険にさらされながら働いているのも彼ら。そういった、収入や健康の格差による問題が浮き彫りになってきたところに、白人の警官に8分以上首を圧迫されて息絶えた黒人の、ショッキングな映像がSNSに出回ったことで、多くの人が黙っていられなかった。
インスタグラムでは、#blackouttuesdayとハッシュタグをつけた一面真っ黒の投稿を上げて抗議する人が続出した。
でも私の中で生じたのは、かすかな違和感。
…こうやって次々投稿あげてるけど、こういった抗議をする白人は、彼らが知らない間に、黒人でないことを理由に、自分たちが優遇されてきたことを、本当に理解してるのか?
…この中には、黒人の権利を守ろうと言いつつ、つい先月、アジア人に対して、「コロナ!」と言い放ったり、暴力を振るったり、差別的な言動をしてた人もいるんじゃないの?とか。
…かくいう自分にも、思い当たることがある。
もちろん、市民を守るべき警察官が、黒人を死亡させるということに、なんの正当性もない。 間違いなく。
ただ、アメリカ社会を生きてきた日本人女性の私は、申し訳ないけど、正直に言わせてもらえるなら、見知らぬ黒人男性に対して、多少の恐怖感を持って過ごしていることを否定できない。まず、体格の差。特に身長も高くてごつい男性が周りにいるとき、本能的に、ちょっと身構える。この国では、自分の身は自分で守らないといけない。平和そうな街でも、いつでも逃げたり隠れたり叫んだりする準備をしておかないと。
そして、言葉の壁。アメリカに20年いるけど、最初の3年は99%白人の中西部、そのあとは、NYとLAと、多様性のある街で過ごしてきた中で、黒人の早口のブロークンイングリッシュやスラングを100%理解できない。
そして、過去のトラウマ。2006年にNYハーレムで黒人の通り魔に襲われた経験を持つ私は、他にとても好感の持てる黒人たちを数多く見てきたにも関わらず、知らない黒人を怖いと思う気持ちがないといったら、嘘になる。もちろん、怪しい人と、そうじゃない人は、目を見れば大体わかる。それは、どんな人種にでも言えること。
ただ、今回のこのblack lives matterの動きの中で、こんな偏見のある私は、自分自身を100%protesterと呼んでよいものか、少しためらってしまった。お腹の底の底から、「私は、自分が100%差別主義者ではないと言い切れるか?」という疑問がふっとわいてきて、戸惑ってしまった。私は、自分のことを、(他の多くの人が自分がそうであると信じたいように)平等主義者で、差別を毛嫌いし、いつでも人の助けになりたいし、困った人は助けたいと思う、これ以上ない善人だと思ってたのに。
例えば、私の抱いている偏見。
・黒人は体が大きくて、強い。→黒人でなくても、大きい人はいっぱいいる。オランダ人とか、2mを超える身長の人もいるのに、黒人だけが大きくて強いわけではない。
・黒人の話す言葉の壁→ゆっくり聞けば、理解できるし、理解できなくても、ニュアンスとして、攻撃的なのか、揶揄してるのか、友好的なのかぐらいはわかる。
・過去のトラウマ→私を襲った人がたまたま黒人だっただけで、あやしい人は、人種を問わず、いる。日本だって、最近物騒な事件がたくさん起きていて、日本人だからといって、100%信用できるわけじゃない。
こう考えると、自分は差別なんかしないと思っている私だって、黒人を全く差別していないとは言えないと気づいた。
ただ、自分を守るのは自分しかいない。黒人が多く住む地域は、所得が低く、犯罪が多いのも事実だから、自衛のために、そういったところにはあまり近付かないとか、危ないと思ったら、すぐ逃げられるように注意しておくとか、最低限の警戒は必要だし。
人は区別や差別をしてしまう生き物。アメリカ人はこういう人が多いとか、中国人はこうだとか、イタリア人は、フランス人は、韓国人は、日本人は、とかいった偏見は、特にNYに生きてると、みんな持ってる。ある意味、その国の文化と人間性を、予備知識として理解しておくと、この人はxx人だから、まあこの行動を取った意味は理解できるみたいな、その人との距離感を図るのに便利なものだから。
もちろん、日本人でも、誰一人同じ人がいないように、生まれ育った環境や考え方や行動は、みんな違う。それでも、ステレオタイプに当てはめることはよくある。
偏見、差別、思いこみ。
それを超えて、それに負けないで、その人を理解しようとする、例えば、自分がその人の立場だったら、ということを想像できれば、安易に差別や暴力が起こることはなくなるんじゃないかな。もちろん、人それぞれ、考え方は違うから、私がもし彼の立場だったら、と想像することと、彼が実際に考えたり行動したりすることは違うだろうけど、英語でいう、put yourself in his shoes (彼の靴に身を置く、彼の立場になって考える)ことを日々実践して、会話を通じてそこで生じた誤解を解いていけば、争いごとは減っていくんじゃないかな。そう願わずにはいられない。そして、今回のBlack lives matterの動きが大きな力となって、今度こそ、偏見にあふれた警察の仕組みを変えて、罪のない黒人が犠牲になることが二度と起きないように、切に願う。