自分のことを
「考えること」が好きなタイプ
だと思ってた。
だけど。あるとき。
ノートに書きながら考えてたら「ほんとに考えること好きか?」って疑問に思えてきた。
ついつい「シリーズ」って書いちゃった。苦笑
苦しいことが苦手。
(得意な人はいる? いるかもね。仲良くなれる気がしない)
ふみ的に「苦しいこと」というのは
- 痛い
- 動きづらい
- 息苦しい
- においがある(良い匂いでも長時間は苦しい)
- 寒い
- 暑い
- びっくりする
- びっくりするかもしれないと身構えてしまって不安
こんな感じ。
激しい運動は、「痛い」「動きづらい」「息苦しい」「暑い」が混合している。
だから苦手。
程よい運動(散歩や体操など)なら、そんな感覚を伴わないので、好き。
感情的に怒られることや、それが自分宛の怒りでなくても見聞きすることは「びっくりする」ので苦手。
急に聞こえる大きな音や、急な衝撃は「びっくりする」。
じゃあ、静かに怒られるのなら大丈夫かと言えば、微妙。
「びっくりするかもしれないと身構えてしまって不安」だからだ。
その人が、いつ怒鳴るか分からないという恐怖。暴力を受けるかもしれないという恐怖もある。
(これはHSPの気質と、幼少期の経験に由来している。急に怒る親。突然投げつけられる皿が目の前で割れたりしてた。昔は学校の先生もキレてたよね。手に持ってるチョークを投げつけたりしてさ)
「びっくりする」ことがとっても苦手だから、そうなりそうな不安も人一倍感じてしまう。
さて。
話は「考えること」に戻る。
ここまで文章を読んでいただいたらわかると思うのだけど、元来ふみは「考えることが好き」なのだろう。
こんなことを長々と書いてるくらいだから。
だから自分でも、考えることが好きなんだと思ってた。
が、あるとき。
「これからの生き方をどうしよう」とか
「どんな仕事ならやってみたいか」とか
「何にチャレンジしたらいいかな」とか
そういうのを考えるのか苦手だと気づいた。
考えたくない、のだ。
あれ?
考えることが好きなくせに、これは嫌なの?
なんで?
「考える」にも種類がある。(あくまでもふみの中の分類)
- 理解する
- 分析する
- 決める
- やり方を工夫する
このうち、上のふたつは好きな「考える」。
下のふたつが、場合によっては苦手な「考える」。
特に「決める」だね。これが苦手。
なぜなら、決めた先の「行動」をしたときに、「苦しいこと」が起こる可能性があるから。
「苦しいこと」とは、
- 痛い
- 動きづらい
- 息苦しい
- においがある(良い匂いでも長時間は苦しい)
- 寒い
- 暑い
- びっくりする
- びっくりするかもしれないと身構えてしまって不安
これね。
欲しい未来のために動こうとしたとき、これらのことに出会う可能性がある。
そう感じてしまうから、「決める」が苦手。
(「決める」に比べたら「やり方を工夫する」はまだ苦手度は低い。工夫次第では「苦しいこと」を避けられるかも知れないからね)
あぁ、そっか。
「苦しいこと」に出会いたくないから、そうなりそうな「考えること」は苦手なのか。
「考えること」の全部ではなくて、一部。
ただしその一部は、最も大事な「決める」というやつ。
自分の人生がスローペースなわけが、ちょっと分かった。
そういう意味では、安定志向だね。
ここまで書いてきて、何ひとつ決めてないことにお気づきだろうか。
「理解する」と「分析する」だけは、たっぷりやったけども。
これが、私。
情けなくてちっぽけな自分に、クスッと笑えてきた。
読んでくれてありがとうございました。