ふみは、発達障害です。
種類はASDとADHD。
(ASDはほぼ確定、ADHDは疑い、ですが)
程度としては、いわゆるグレーゾーンなんです。自分で疑いを持って病院に行ったから「そうですよ」って言われただけで、黙っていたら一生このラベルはもらえませんでした。
つまり、そのレベル、ということ。
外から見たら「ちょっと変わった人」であって、本人の困り感・生きづらさ、というのはわかってもらえません。
わかるとすれば、パートナーと子ども(と実親)だけでしょうね。
↑
大事情報。
つまり、そのパートナーと子ども(と実親)に発達障害の知識がない限り、困り感はわかってもらえません。
子どもに期待するのは無理というもの。
最後の頼みはパートナーですが、ふみの場合は最初からわかってくれる男性には出会ったことがありません。
結局、自分でわかっていなければ向こうからわかってもらえることはないし、伝えなければ絶対に伝わらないということです。
ここから本題。
発達障害は治らないのか?
昨年の末に、こんな記事が出ました。
小中学生の8.8%に発達障害の可能性 文科省調査
これを見て「多い」と思うか「少ない」と思うかは人それぞれでしょうけど。
ふみは「少ない」と思いました。こんなに少ないわけがない。
これはあくまでも、先生が見て発達障害があると感じられる子どもの数、だろうと思います。子どもの頃のふみのように、外から見てわかるほどではないけれど本人がめちゃめちゃ困っている子、はカウントされていないでしょう。
さておき。
この数字を見て、面白いことをおっしゃっていた専門家がいました。
↓
画像は引用元の記事からお借りしました
発達障害は治らないって言うけど治ってるじゃん!
年齢が上がるごとに、数字が減っているからです。
今より5年前の小学生の割合が、今とそこまで変わるとは思えませんよね。
数字が表しているのは、5年前は発達障害を疑われる行動を取っていた子どもが高校生になる頃にはそうは思えない行動になっている、という事実。
だったら、治っているじゃないか、ということですね。
確かに。
先にも書きましたが、あくまでも外から見た行動の話です。
本人の困り感は、別。
もしかしたら、行動に現れていない内面で、めちゃめちゃ生きづらさを抱えているかもしれません。
(というか、ほぼ確実にそうだと思います)
それでも、行動は治っているんです。
少なくとも外向きには治るんですね。
当事者としてやってきたこと
記事の最初にも書きましたが、ふみは発達障害です。
子どもの頃から特徴がありました。
ではなぜ、発見されなかったのか。
周りの大人に知識がなかった、というのが一番大きいですが、もうひとつあります。
それは、
「自分で行動を取り繕ってきた」
から。
困っていることを悟られないように、演技していました。
周りの人の行動を見て、こうするんだ、と学んで真似をしました。
内面で理解はできかったけれど、集団の端っこにぶら下がって、嘘で相槌をうち、見よう見まねで行動しました。それだけです。
社会的にはそれは間違いではなく、よかったんだと思います。
悲劇だったのは、困っていることを明かしてもいいと知らなかったこと、だけですかね。
だから、今、困っている人には言いたいのです。
困っているって明かしてもいいんですよ、と。
バレてもいいし、隠さなくていいです、と。
そしてそれは、攻撃的に表現することとはまったく別物です、と。
行動は、それらしく真似すればいい。
困っていることはそのまま「困ってます」って言えばいい。
子どもの頃の自分に、一番伝えたい言葉です。