ここ最近、昔のホームビデオの整理をしている。
ブルーレイを買ったので、それに移す作業。
再生できるうちにしとかないと。
幼稚園の時のお遊戯会の映像が出てきた。
そこに映る自分に、めちゃめちゃ驚いた。
演目は
「のうさぎのみみとぴょん」
私の中では
「ちょうちょ役だった」
というイメージがあった。
きっと卒園アルバムにそれが載ってるからかもしれない。
見ていると、予想通り、ちょうちょとして出てきた。
そして席に戻り・・・そこまではよかった。
その後・・・・・
のうさぎぴょん役になっていた
うさぎといえば?
飛ぶ
はい
飛んでいた。
ずっと。
30分
ずっと。
でずっぱで。
もちろん、のうさぎぴょん役は5人くらいいるけれど。
でも
でずっぱで。
見ててハラハラした。
だって、限界だってわかるから。
現に、一度だけ席に戻った時、大きく
「はぁ~~!!」
って深呼吸してて。
テレビの前で
「もうやめろ」
と何度言ったか。
彼女(あたしだけど)は、ずっと飛んでた。
段々お尻の方があがらなくなっても。
頑張ってた。
自分で自分に感動した。
その話をチルドレン仲間に話したところ、友達は、一度も、体育というものをしたことないことがわかった。
毎回体育は見学。
寒い日は教室の中で自習だったらしい。
修学旅行にも一度も行ったことがないとか。
すべて、学校が怖がったのが原因らしい。
でも私は、体育もたいがいやった。
ドッヂボールだって、水泳だって、体育祭のダンスだって、みんなと同じように踊った。
リレーでは、50メートルだけいいと主治医から許可が出ていたので、円周の4分の1だけを走った。
その前に走る子に、通常の一人分の残り、4分の1を走ってもらって。
マラソンだけはやらなかったけれど。
バレーだって、バスケだって、跳び箱だって。
全部全部やった。
もちろん、めちゃくちゃしんどかった。
体育祭の行進の練習ですら、みんなの歩幅にあわせるのが大変で、しんどかったのを覚えてる。
やりたくないと思ったこともあった。
だってヘタなんだもの。
何をやってもヘタ。
そこにいるってだけ。
でもやってた。
修学旅行にだって行った。
普通学級で過ごしてきた。
その話を親にした時に、先生との話が密かにあったことを聞かされた。
お互い、できることをしあいましょうという。
先生も協力する。
親も協力する。
だから、幼稚園の遠足は、私だけ親がついてきたし、遠い場所に歩いて行く時には送り迎えをしてもらった。
山登りの時は、先生が車で頂上まで連れていってくれた。
小学校以降は、結構普通の子と同じ行動をしていた。
何といっても、自宅はエレベーターのない5階だった。
でもこれも全部、親と先生の、学校のおかげなんだと気付いた。
学校次第。
親次第。
学校が受け入れ態勢でなければまず成り立たない。
親が何でもやらせたいという気持ちがないと始まらない。
自分の意思がない年齢は、周りがしっかりしてくれないとダメなんだ。
ただひとつ。
私は20歳を超えてガタがきた。
これは、幼少期に普通の子と同じ生活をしたせいなのだろうか?
そのツケが、ここにきてまわってきたのだろうか?
そんな事を考えながらも、そんな生活がないと今の私はないわけで。
でも、お譲様育ちの生き方だったら、どんな今があるんだろうかとも思うわけで。
どちらがよかったのかは、今でもわからない。
これから先も、ずっとずっとわからないと思う。
でも、物心つくまでは、子供の人生は親の人生・・・な気もしている。
そこまでは、親がレールを敷いてあげて、その後どう進むかは子供次第。
だから、これがうちの親が選んだ道なわけで。
こればっかりは、その家庭それぞれ。
幼い心疾患の子供を抱えてる親御さんは、必ずぶちあたる壁だと思う。
普通に育ててあげたい。
でも、心配。
どちらにせよ、将来、その子がどう思うかわからないし。
でも、そこを選択するのは、親しかいないから。
大変だと思うけど・・・
子供が笑顔になる方を選べばいいんじゃないかな。
ただね、子供に言ってあげてほしい。
無理なことは無理と言える人間になれと。
私は、言えなかったから。
だから、ずっと、密かに限界だった。
ただのわがままはダメだけど。
体に関しては、正直にいろと。
このさじ加減も、めちゃめちゃ難しいと思うんだけどね。
親って大変だね・・・。