下痢がつづいている。
これは、蛋白が漏れてる証拠なのか?
あざは少し軽くなった。
ワーファリンが適度に利いているんだろう。
毎日病気としか向き合ってない。
寝てご飯食べて薬飲む・・・この繰り返し。
ただ、最期の日を待つだけの生活みたい。
そういう意味では、7日は変わるきっかけの日。
いい結果なら外へ出ようと思うし、悪い結果なら、それを受け入れた生き方を考えようと思う。
あと3日・・・この惰性の生活を送ってみよう。
ある入院仲間が、CICUに運ばれていった。
それから1週間。
まだ帰ってこない。
看護師さんに聞くと「ICUで頑張ってるよ」というだけ。
先生に聞いても同じ。
それから1ヶ月。
まだ帰ってこない。
思い切ってうちの友達が手紙を書いた。
ICUにいる仲間に届けて欲しいと看護師さんに託す。
返事はこない。
それからさらに一週間。
メールをしてみる。
電話をかけてみる。
また手紙を出してみる。
返事はこない。
そんなとき、あたしがICUに行くことになった。
「ちょっと見てくるわ!」
寝てるのは赤ちゃんばかり。
その子の姿はなかった。
それでも医師たちは「頑張ってる」というだけ。
それからまた1ヶ月。
今度は友達がICUに行くことになった。
「しっかり見て、ICUの看護師さんに聞いてくる」
3泊4日で帰ってきた彼女がいうには
「どこにもいなかったし、看護師さんたちも、ここには子供しかいない」
と。
それでもメールを送りつづけた。
電話をかけ続けた。
ある日、その子と一番仲のよかった子に、親御さんに電話してもらうように頼む。
そして、事実を知った。
1ヶ月前に、すでに地下通路を通り、ICUから帰っていったということを。
これが意味することは、ただひとつだということを。
それでも信じられない友達は、メールを送り続けた。
するとある日、その子からメールがきた。
びっくりしながらもあけたそのメールは、その子のお母さんからのものだった。
あたしより7歳くらい年上の人。
このすべての話を聞いたときは、本当に声が出なかった。
あたし達にもあり得る話。
友達と二人で無言になったのを覚えている。
その前には、同じく入院仲間だった1歳くらいの子供が亡くなった。
お腹にペースメーカーを入れ、酸素をつけながら退院していった5日後、再び戻ってきて・・・
それを繰り返しながら、いつの間にか病院からいなくなっていた。
きっと、これらは病院で起こる当たり前の出来事。
10歳の手術の時には、3か月の入院の中で、友達が5人もなくなった。
同世代の子もいたから、本当につらかった。
でも、まだ死への恐怖がない年齢だったから、その出来事と自分を結びつけることはなかった。
人生のすべてを理解した今、起こった現実に立ち向かう勇気はあるだろうか?
でも、彼女たちは精一杯生きた。
あたしも、今そうなっても後悔のない生き方をしなきゃいけない。
それって、病人でも、健常者でも同じだと思う。
これからどんな未来が待ち受けているかはわからないけど、その全部に立ち向かわなきゃいけなくて、それを受け入れる準備をしてなくちゃいけない。
でも、それを怯えて生活するのはイヤ。
準備と、待ち受けるのとは違うと思う。
毎日言ってるけど、好きに生きよう。
かと言って、未来がどうなるかなんて考えない。
こうしたらこうなるかも・・・なんて怯えて生きるのはまっぴら。
だから、明るく7日を待ち受けられる。
病院も好きだし。
ここ大事。
やっぱり・・・すべての出逢いに感謝。
そして・・・
この病気に感謝。
だって
人生の選択肢を
他の人よりいっぱいくれたんだから。