野球ファンにとって楽しみの一つ。それはベストナインを考えること。現役選手だけじゃなくて歴代、それもチーム毎とか出身地別とか俊足選手だけとか守備重視とか、いろんな条件毎にベストナインを考えるのは楽しい。
そして、特にパリーグには過去にすごい選手が目白押しのわりに一般的な知名度が低かったりする。なので今後時々、パリーグの歴代ベストナインを紹介していこうと思う。
 
と言うわけで、私の独断と偏見で選ぶホークス歴代ベストナイン(打者編)!
 
 
1(中)広瀬叔功/.366/12本/58点/72盗
2(二)井口資仁/.340/27本/109点/42盗
3(左)柳田悠岐/.363/34本/99点/32盗
4(捕)野村克也/.320/42本/110点/3盗
5(DH)門田博光/.313/44本/105点/4盗
6(一)松中信彦/.358/44本/120点/2盗
7(三)小久保裕紀/.290/44本/123点/6盗
8(右)佐々木誠/.322/21本/54点/40盗
9(遊)木塚忠助/.301/8本/47点/78盗
 
 
1番センター 広瀬叔功
(通算2157安打/打率.282/ 131本/705打点/1205得点/596盗塁)
「野球界に天才は2人。一人は長嶋、もう一人は広瀬。」「プロ野球のスピードを変えた男」などと言われ、日本プロ野球史上もっとも身体能力の高い選手の一人とも言われる超人選手。2階の窓に一瞬でよじ登り部屋に入ったとか、高さ3メートルほどのフェンスに片手だけ使って一番上に飛びあがりダイレクトに腰かけたといった逸話が数多く残されている。高い身体能力故にさほど練習に取り組まなくても好成績を残してきたが、本人曰く「人生で初めて猛練習をした」という年にはシーズン途中まで史上初の4割打者誕生かとマスコミで騒がれるほど高打率をキープしていたが、その猛練習がアダとなり手首の腱鞘炎が発症。その後は片手でバットを振るなどしながらも出場を続け、結局打率.366で首位打者となり、72盗塁で盗塁王も獲得した。通算盗塁成功率82.9%(596盗塁123盗塁死)は、300盗塁以上の選手では未だに歴代1位の記録。「僅差の場面でしか走らない」「打者が2ストライクに追い込まれたら走らない」等とチームの勝利に必要な場面だけしか走らなかった上、1964年3月から5月にかけて31連続盗塁成功を成し、1968年にはシーズン盗塁成功率95.7%(成功44、失敗2)といういずれも日本記録を持っている。通算盗塁数の日本記録保持者はもちろん1065盗塁の福本豊だが、記録を追求した福本と違い(通算盗塁成功率78.1%)、試合展開上必要な場面のみでの盗塁にこだわって少ない盗塁機会を確実に決め、歴代2位の盗塁数になった広瀬は、また違った角度から賞賛されるべき最高選手の一人であったと言えるだろう。
 
2番セカンド 井口資仁
(通算1599安打/打率.277/ 170本/638打点/755得点/242盗塁)アトランタオリンピックの日本代表や東都大学リーグ史上唯一の三冠王などの輝かしい実績をひっさげ超大型内野手としてホークスに入団。入団当時既に背筋力はチームNo.1で、その強肩・俊足・パワーに定評があった。日本人初のデビュー初打席満塁ホームランを記録するなど、派手なデビューを飾り、強肩を生かしてショートを守った。レギュラーに定着してからは9番バッターでホームラン21本を記録するなど、パンチ力はあったが打率は.221。その翌年も.224と成績が伸びなやんだ。怪我で4年目のシーズンをふいにした翌年、自ら勝負の年と定め心機一転「忠仁」から「資仁」に改名し、守備位置をセカンドにコンバート、目標を盗塁王に定めて挑んだ。その意気込みによってか、この年の成績は打率.261、30本塁打、44盗塁で見事目標の盗塁王を獲得と見事に才能が開花した。改名しただけでそんなに変わるならば私も勝彦から毅彦に改名しようかと考えたがそもそも自分がプロ野球選手ではないことに気づき断念した。しかも本人曰く、守備位置の変更によって打球を引き付けて捕球する習慣ができ、それに伴い打席で前につっこむ癖が治ったとのことだった。彼はこのシーズンから3番打者に固定され、2003年には打率.340、27本塁打、109打点、42盗塁、四球数82で出塁率.438と素晴らしい成績を残した。この年にホークスは優勝し、100打点以上がチームに4人という、NPB史上唯一の100打点カルテットとNPB史上最高記録となるチーム打率.297を達成し、史上最強打線の中核を担った。井口はその後メジャーに渡りレギュラー二塁手として活躍してワールドシリーズを制するのであるが、その辺はまた別の機会に。
 
3番レフト  柳田悠岐
(2018年まで通算921安打/打率.320/150本/502打点/得点/盗塁)現役プロ野球選手の中の最強バッター。見てるだけで胸がすくような渾身のフルスイングは日米野球で対戦したメジャー選手をしてもクレージーと評された。そのマン振りにして高いミート能力を併せ持ち常に高打率をキープし、トリプルスリーと首位打者を同時に獲得した選手はNPB史上唯一彼のみ。更に強肩と俊足も併せ持つ規格外の超大型選手。怪我が多いのが心配だが、更にこれからも産み出すであろう様々な記録と観客を驚かせる豪快なプレーに期待し、現役選手にして堂々の歴代ベストナイン入りも異論がある人はいないのではないだろうか。
 
4番キャッチャー  野村克也
(通算2901安打/打率.277/ 657本/1988打点/1509得点/117盗塁)8年連続本塁打王、戦後初の三冠王かつ世界唯一の捕手の三冠王。選手出場試合数歴代2位、監督出場試合数歴代3位、通算本塁打数歴代2位、通算安打数歴代2位、通算打点数歴代2位、通算犠飛数歴代1位。捕手を務めながら通算RCWINでも歴代5位を記録しており、捕手としてシーズン50本以上打ったのはメジャーリーグを含めても野村だけ。盗塁阻止率でも.524を記録するなど、攻守に渡り傑出した、今後は二度と出てこないであろう球史に残る大選手。しかも彼は4番打者で捕手で監督という三足のワラジをこなした。プレイングマネージャーとしてチームを率いながら、データを重視した考える野球、投手の分業システムやクイックモーションを広めるなど、日本の野球の改革と近代化をけん引し、発展を支えてきた功績も枚挙にいとまがない。ベストナインを考える際に個人的に好きな城島健司を入れることを考えたし彼も歴史に残る名選手ではあるのだが、野村克也はとにかく別格のスーパーレジェンドなため敬意を表して城島は外すしかなかった。
 
5番DH  門田博光
(通算2571安打/打率.289/ 567本/1678打点/1319得点/51盗塁)通算本塁打・通算打点共に日本歴代3位。日本プロ野球の本塁打・打点の歴代記録は王貞治・野村克也・そのしてこの門田博光の3人で上位ベスト3を占めている。入団2年目に31本塁打、120打点で打点王になった頃から一発狙いの強振が目立ち始め、見かねた当時の野村克也監督が、大振りをやめろといくら言っても全く聞かない。王貞治や大杉勝男に協力を頼んで「ヒットの延長がホームランなんだ」と説得を図った。当時3番門田4番野村と並ぶ打順であり、野村は自らの打点や本塁打王にこだわるあまり、自分に対して長打を狙うなと指示をするのだと門田は考えていたふしがある。門田は野村を酷く嫌い、反抗的な態度も隠さなかった。そして野村監督解任後束縛がなくなってからはホームランへのこだわりを強め、長距離ヒッターとして、3回の本塁打王を獲得している。もしも野村が邪魔してなかったら通算本塁打数記録も野村を上回っていたりして…。門田は40歳にして打率.311、44本塁打、125打点で本塁打王、打点王、MVPに輝く。40歳で本塁打王は日本初の快挙であり、「不惑の大砲」「中年の星」という言葉が当時の流行語となった。小さな身体がねじ切れるほどのフルスイングに徹底的にこだわり、ついには球史に残る大打者になった門田は、同時に球史に残る頑固者でもあったのだった。

6番ファースト 松中信彦
(通算1767安打/打率.296/352本/1168打点/972得点/28盗塁)史上7人目、そして平成唯一の三冠王。この年は最多安打、最高出塁率、MVP、ゴールデングラブ、ベストナインと盗塁以外の打者タイトル合計9冠を獲得した。首位打者2回、本塁打王2回、打点王3回、最高出塁率3回、MVP2回と平成時代の最強打者として君臨し、2003年から3年連続で120打点以上という記録はNPB唯一彼だけの記録である。内角をバットに乗せてスタンドまで運ぶ技術が圧巻で、松坂大輔の直球をバッドを折りながらライトスタンドに叩き込んだシーンが有名。また国際試合に強く、アトランタ五輪の全日本代表チームでは4番を務め5本塁打16打点とチームトップ。第一回WBCでも4番を務めチームトップの打率.433、出塁率.528と活躍した。
 
7番サード 小久保裕紀
日本のプロ野球において大卒で400本塁打と2000本安打を共に達成したのは長嶋茂雄・山本浩二・金本知憲とこの小久保裕紀の4人しかいない。度重なる大きな怪我や故障に悩まされながらも金字塔を打ち立てた球史に残るスラッガー。もしもそれらの度重なるアクシデントが無かったらどのような成績を残したのかが悔やまれる。日本一の広さを誇った福岡ドームを本拠地にした選手として初の40本台超え44本塁打を放ち、松中信彦の36本塁打、城島健司の31本塁打、井口資仁の30本塁打と合わせてプロ野球史上初、同一チームでの日本人30本以上本塁打カルテットを記録し、不動の4番打者として活躍した。その打棒や三塁手としての無失策記録を持つ守備も素晴らしかったが、彼に関して特筆すべきはそのリーダーシップとカリスマ性。小久保のチームメイトは皆、野手も投手も彼を心から慕い、その野球への真摯な取り組み方を学び、尊敬した。外様に厳しい巨人に移籍した際も瞬く間に選手達の中心的存在になり、巨人では史上初めての移籍選手の主将になった。(ちなみに巨人の右打者でシーズン40本以上ホームランを打ったのは史上彼だけ)曲者揃いであるホークス・オールタイムベストナインの面々をまとめるリーダーシップを持つのは彼しかいないと断言できる。 
 
9番ライト 佐々木誠
 (通算1599安打/打率.277/ 170本/638打点/755得点/242盗塁)日本プロ野球の歴史の中で、首位打者と盗塁王を同シーズンに獲得したのはこの佐々木と広瀬、そしてイチローだけ。シュアな打撃・長打力・俊足・守備の上手さ・強肩と、走攻守が高次元で揃っており、主に一番を務めることが多かったため「ホークスの核弾頭」「メジャーに一番近い男」などと称されていた。そして95年オフにFA権を取得するとメジャーからのオファーが実際に来たが断っている。ライオンズに秋山などとの交換トレードで移籍した後は慢性的な腰痛や太ももの肉離れなどの故障と戦い続けることとなったがそれでも主に3番打者を務め、84打点を稼ぎながらも盗塁王になるなど活躍した。「怪我さえなければコンスタントに打率.350を期待できる、イチローにひけをとらない打撃技術の持ち主」と土井正博に評されたホークス低迷期を支えたスター選手。ちなみに私は学生当時彼のファンで、自宅でテレビ観戦していたところ、2点差で負けてる最終回ランナー1-2塁の場面で佐々木に打順が廻った時ちょうど猛烈に便意をもよおしてしまい、我慢しながら見ていたところ、見事に佐々木が逆転スリーランを放ち、その瞬間に歓声を上げながら脱糞してしまったことがある。彼はNPB史上唯一の逆転サヨナラ自宅おもらしホームランを記録したのであった。

9番ショート  木塚忠助
(通算・ 1216安打/打率.262/ 42本360打点/657得点/479盗塁)驚異的な強肩と守備範囲を誇る球史に残る名遊撃手。定位置で守る三塁手の股間を抜いた痛烈な打球を捕球し、一塁に遠投して刺したりするなど、その身体能力によって史上初めてメジャーリーグから誘いが来た日本人選手としても知られている。野村克也をして史上最高のショートと言わしめ、ボールを投げるまでの一連の動きの中で捕球していると言われた華麗な守備を誇った。吉田義男は彼のプレーを見てプロのショート守備を学んだと語っている。俊足で知られ、広瀬に抜かれるまでの通算盗塁記録は彼が持っていた。49年から4年連続盗塁王で4年間の盗塁数は246盗塁(年平均61.5盗・通算成功率.855)と驚異的な成績だったが、盗塁数を争っていた他チームの選手がインタビューに対し「チームのためではなく個人の記録のために走っている」と答えたのを聞いて「アホらしくなった」と突然積極的な盗塁やめ、チームの勝利に関係ない盗塁をしなくなった。その後入団してきた広瀬の主義に影響を与えたのは完全に彼と思われ、彼の主義がもうちょっと違うものなら通算日本記録も広瀬が今も1位だったのではないかと考えると面白い。
 
 
以上、ホークスの歴代ベストナイン野手編でした。いつか思いたった時に投手編や他のチームのも書いていきますのでよろしくお願いします。