昨日寝る前にふと考えていたことがあります。「幸せ」ってなんだろう。
それを考えていたら何か目が冴えて眠れなかったのです。
ある施設で行ったボランティアの事を思い出していました
その施設では利用者の方がとても快適に、自分の時間を過ごしています。
「出来るだけ家にいるような生活を送ってもらいたい」がその施設の方針なのが見て取れるくらいです。
その時のボランティアは会話ボランティアでした。普段職員の方や入居者の方以外とは話す機会の少ない利用者の方はとても積極的に話しかけてくれます。
しかし、ふとした会話の中で
「うちの家族はなかなか来ないのよ・・・」
「今度いつくるのかしら?」
「私の事なんて嫌いなんだわ」
といった気分の落ち込んだ話につながってしまうこともあり、どうしたものか・・と考えていました。
施設担当の職員の方がその日1日のボランティアの反省会の時に
「幸せになれる嘘」ならついてもいいです。と言いました
「幸せになれる嘘?」
どういうものなのかというと、認知症の方は思いもよらぬ感情の表出や実際には無い事を話したりするので
それを否定するのではなく、うまく受け入れて安心させるというものです。
例えば先ほどの会話の中の場面からだと、「今度いつくるのかしら?」という場面で「来週くるって職員の方が言っていました^^」というと安心して不安でなくなるのだというのです。
翌週のボランティアで同じような場面になって「幸せになれる嘘」というものを付いてしまいました。
なんだか複雑な気持ちになりますね。事実を確かめられない人に事実をねつ造する。
ほとんどの人は数分後には忘れてしまいます。無性にせつなくなりました。
その嘘で安心できたかもしれません
しかし嘘をついたその先にある利用者の方の人生を思うとやるせないですね。
同じように数時間後に「今度いつくるのかしら?」と聞いてひと時安心して、また不安になる。
「幸せになれる嘘」では本当に「幸せ」にはなれないのです
それを割り切って話しては話すのですが、もしそのことに慣れてしまったら「幸せになれる嘘」は「その場をやり過ごす嘘」になってしまうと思いませんか?
という事をループしながら考えていた昨晩でした^^
「幸せ」って自分のものでも難しいのに 人を「幸せ」にすることってもっと難しいですね