いつぞやの話。
結婚式あげるならどんな風にしたい?と聞かれたので、
何でそんな形式的なものにこだわるんですか?
大切な人といっしょにいられたらそれで充分でしょう
と申し上げた。
空いた口が塞がらなかったのを覚えている…
いつだかこんなことをブログに綴った気がするけれど(過去記事見てね!とちゃっかり宣伝)、
世間的にはこういう考えは非常識らしいし、とても空想的だろう(いちおうその自覚はある)。
でも個人的には、形式ばったものに縛られてエラい目に遭う位なら、そんなものはいらない、と思う。
いちおう、やろうと思えばウェディングプランナーみたいなことも出来なくはない生業なものだから、私の社会的立場を踏まえた上で上のような発言をしようものなら、否定的な衝撃が広がってしまうであろうことは想像に難くない。
でも、そんなものはいらない、という信念は隠れて持ち続けている。
はっきり人前でそう言い切りたいし実行に移したい所だけど、私の性格からいって出来るかなあ。
それに、相手がやりたいって言い出したら逆に盛大なのやっちゃいそうだからなあ。
要は相手によって態度を変えてしまうのです。芯がコンニャクみたいだから余計言えないでいるのだけれど。
いろいろ見てきたもので、結婚というものに全く幻想を抱けないものだから、とくに形式的なものに関してはかなり冷めた考え方になってしまっている。
その一方で、暖かい人間関係は希求するという矛盾した本心を観じている。メンドクサイナァ自分
でも、相反する考えを有しながらも、どう折り合いを付けていくか、どう生きていくか、が大きな問題である。
いつかは消えて無くなる身体と心とわかっていても、それを今すぐという訳にはいかないから、ジタバタしながら落としどころを探っていくより仕方ない。
それに、ジタバタしている時が、一番生きている気がする。
結婚式どうのこうのと言う前に、残念ながら私はフリーなものですから、ゴタクを並べる前に大切な人を見つけなさい、と自分で自分に突っ込んでいる。