ので、妙なことを考えてみた。

 

柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺・・・①

という正岡子規の俳句がある。

 

何で、

鐘鳴れり柿くへばなり法隆寺・・・②

でないのだろうか、と。

 

何となく思うのだが、

②だととてもわざとらしくて、理屈っぽいのである。

①だととてもすんなり流れる、というか。

 

情報としては「柿を食べていたら法隆寺の鐘が鳴った」ということのはずなんだけど、こんな書き方をしたら風情も何もあったものではない。(私の知ってる方なら、「風情もヘチマもない」というところだろう)

 

例えば、

柿食べて鐘が鳴ったよ法隆寺・・・③

なんて書いてみたら、言っていることはおおかた同じなはずなのに、なんか趣がない。①を知っていると余計に、味がない。(改悪?ばかりしているから当たり前なんだけど)

 

あれこれいじり回してみて、①がいちばんすっきりしていてうまいんだな、と納得する。

 

なんてことのない日常の一コマを切り取ると俳句になる、ということなのかしら。

それが鮮やかに出来るから俳人という方々がいらっしゃるんだろうな。

 

うまい一句を読める人はすごいな、という次第です。