今日は思いっきり宗教の話で、しかも愚痴なのでそういうのが嫌な方はここでご遠慮ください。特にキリスト教徒の方にはイラッとさせてしまうかもしれません。
なんの話だ?って感じですが、つまりこういう事です。クリスマスは元々キリスト教ではイエスキリストの誕生をお祝いする日として西洋諸国を中心に広まったものです。(実際の誕生日ではないし起源は違います。) しかしクリスマスはキリスト教徒以外の人たちもお祝いするようになり、今や代名詞はサンタクロースやパーティーに取って代わられました。
教会ではクリスマスの本来の意味を広めようと活動したり、サンタさん断固拒否(笑)という姿勢の人もいます。私は元々キリスト教徒じゃなかったから子供の頃はクリスマスはサンタさんがプレゼントをくれる日、大きくなったらケーキくらいは食べるけどそれ以上何でもない日でした。(ただし無宗教の親に本当はキリストの誕生日で超簡単にキリストが誰かという話は毎年聞かされてました。間違ってたけど(笑))
でもクリスチャンになりクリスマスが大きな行事となりました。私はクリスマスは朝は礼拝に行きその後は誘われれば誰かの家でランチをしたり、そういうのが面倒だと思えば教会のクリスマスランチ(つまり私のようにクリスマスなのに一緒に祝う家族がいない人たちのために主催された物)に行ったりしてます。そしてプレゼントやカードは必須。私は人と比べてかなり少ない分しか用意しませんが、みんな多少はクリスマスの準備でストレスフルな感じになります。
何なんこれ?何でキリストの誕生を祝うのにこんな苦労しなきゃいけないんだろう?キリスト教徒だけで集まるランチもプレゼントもパーティーも何にも聖書とは関係ないし誰もキリストの話はしてない。これって結局キリスト教徒以外の人たちがしてるクリスマスと同じじゃね?と気づいたんです。
敬虔なクリスチャンの中にはサンタvsキリストみたいに捉えてる人も居るかもしれないし私もそう思ってた時期もありました。でもふと12/25は聖書の中に出てくる日にちじゃないし、この日にキリスト誕生を祝うとしたのは長い教会歴の中でどこかの教会が決めたことに過ぎません。それでsecularなクリスマスがどうのこうのと文句を言うならキリスト教徒は別の日にキリスト誕生を祝えばいいんじゃないかなという結論に至りました。
そもそもの話ですが、クリスチャンがキリストの誕生を年に一度しか考えない、例えばクリスマスキャロルはクリスマス時期にしか歌わないというのがおかしな事なんです。私は一年中気が向いた時にクリスマスの曲を聞くし、いわゆるクリスマスストーリーを読みます。私が例えば6月とかにJoy to the worldをずっと聞いてたんだとか話すとクリスチャンでも季節外れだねとか言われますけどね(苦笑)
なので私の提案はクリスマスはseasonal celebration dayとして宗教から完全に分離して誰でも気軽に楽しめる日にする。教会は別の時に(クリスマスの名称を変えて)それぞれがキリスト誕生を祝う礼拝を持てばいい。これならうっざーいとか気分ぶち壊しとか言われながらキリスト教徒がクリスマスの日に本当のクリスマスを知ってくださいとビラ配りをする必要もなくなるし(日本で本当にそういう場面を見た事があるんです)、争い事を避けられます。
私はクリスマスプレゼントは社交辞令とかお礼のつもりであげるので、当たり前ですがいちいちプレゼントを準備する時にキリスト教を考えません。ランチも別に一人で普段通りに過ごしても良いもと思うけど、周囲に可哀想な人と言われたり、ならうちに来ればとか言われるのが嫌なのでどこかに参加させてもらう感じです。正直家族の集まりに部外者が一人だけ居ると言うのは気まずいです。。。なのでここでもクリスマスを祝いたいからという気持ちは正直少ないです。
じゃぁ何のためのクリスマスなんだろう?部屋で一人でクリスマスストーリーを読んで静かに祈ってた方がよっぽどキリスト教徒としては意味のある事じゃない?とか思うわけです。
もちろんクリスマスを祝うクリスチャンを批判や否定してる訳ではないです。クリスマスは楽しい時間だしそれを奪いたい訳でもない。ただガチにクリスマスがサンタに乗っ取られたとか言っているキリスト教徒たちに、この日には聖書的な由来はない(もしあったとしても解釈の仕方ていど)のだから別の日にお祝いすれば?と言いたいだけです。
ちなみに私はクリスマスツリー否定派です。(否定派とか言ってるけど勝手にそう思ってるだけで、理由はあります。) 教会でも大きなツリーを飾ったりしますが、キリスト教徒ならキリスト誕生の聖書の話に関係あるnativity setや星の飾りのみを飾るべきだと思います。ツリーは良いのに真っ赤なお鼻のトナカイさんはダメ。矛盾してるなぁと感じずにはいられない、2020年のクリスマス前です。