心優しいクラスメイトによってなんとかプログラミングの授業が少しだけ理解できるようになってきて、初めての課題もクリアしました。
しかし2回目の課題からクラスのほとんどの人がギブアップするくらい、急に難易度が上がりました。そう、それがこの先生の大問題でした。
その先生は天才的なプログラミングの才能を持ち合わせていた故に、TAFEのレベルにしてはあり得ないくらい難しい課題を出してたんです。授業の内容を全て理解したとしても無理なくらい。。。(泣)
学校側もこの事は把握していて、毎学期繰り返されている光景であるとコースの先生誰もが知っていました。プログラミングが出来る他の先生も手伝ってくれようとしたけど、それでも無理だったんです。ある先生は自分の授業を半分潰して、プログラミングの課題をやって良い時間にしてくれました。学校も知ってるんならなんとかしてよっ!て話なんですけどね。
コースの主任に話しに行くと、この先生の課題は確かに難しいけど、採点ではTAFEレベルだから基礎さえ出来てれば大丈夫みたいな事を言われました。全然納得いかなかったけど私たちにはどうする事も出来ませんでした(´-ω-`)
コースの前半の半年が終わって、留学生ごっそりと地元の学生も一人を除いて学校を辞めたり別のTAFEのキャンパスに移動したりしました。実はこの時クラスにもう一人日本人(日本でプログラミング経験あり)がいたのですが、彼に至ってはこのあり得ないプログラミング授業のせいで誰も知らないうちに日本に帰国しまてましたf^_^;
この時点で初めて20人くらいいたクラスは10人くらいになり、後半はもう一つのグループと合同授業になりました。
後半の半年の課題はもっと悲惨でした。私はプログラミングを初めてまだ半年、(Java言語の)プログラミングでカードゲームなどを作るというふざけた課題でした。この頃は毎週日本の母親に電話してもう無理だから辞めて帰りたいと泣いてました。母親はいつでも帰ってきて良いけど、あともう少しだけ頑張ってみたら?といつもそう言いました。
プログラミングの実技テストは事前に問題を教えてくれました。なら事前に調べて準備すれば誰でも出来るじゃない?と思いますよね?でもテストの問題は課題並みの難易度です。授業で先生が使ったパワーポイントは持ち込みが可能でしたが、それでも追試になる人が多数いました。
私はプログラミングの教科書の問題などを繰り返し自分でやって、家でも殆どの時間をこの授業の課題と試験の為に費やしました。そんな様子を見ていた別の教科の先生に、自分でプログラミングのプロジェクトを考えてチャレンジしてみてはどうかと言われて、休みの期間に自分でアレンジしたアプリケーションなどを書いてみたりもしました。
そんな努力もあって、仲の良かったクラスメイトと協力して何とか課題をほぼノーミスでクリアしていきました。彼らも毎晩遅くまで、私と電話で話しながら、相当な努力をしてました
それでも毎回授業の最後に出される練習問題は殆どの人が出来ませんでした。授業をした後、この問題が出来た人から帰っていいと言われるもほとんどみんな最後まで居てそれでも答えはわからないままでしたね。
そして忘れもしない最後の実技テスト。クラスメイトで協力して何とか事前に発表されていた問題のプログラムを完成させようとしますが、クラスのほぼ全員が結集してもそれを作るのは不可能でした。私もここで初めて答えが全くわからないままテストを受ける事に。。。
そこで奇跡が起きます。細かい事は省略しますが、なんと試験開始30分くらいでいきなり解決法を閃いて出来たんです。プログラムも問題の指示通り動いたんのでその場で先生に見せました。あっ出来たね、はい帰って良いよ。あっけなくそう言われて教室を出て仲の良かったクラスメイトを待ちました。試験時間を過ぎても誰も出てきませんでした。みんな最後まで出来なくて多少の時間延長が許可されたらしいです。もうこんな科目あり得ない!誰もが怒ってました。
途中まで書いたプログラムの内容で私の他に6-7名が試験を受かって辛うじて卒業出来たらしいです。その中で地元の生徒は二人でした。
ちなみに、当時のシェアハウスの日本人オーナーが他のTAFEのキャンパスで全く同じコースを取っていたけど、同じレベルの教科のはずなのに私の課題を見て驚愕してました。だから私の経験は特殊なケースだと思います。
その後大学などでもプログラミングの科目をやりましたが、課題の難易度も授業の内容と釣り合っていて普通でした。私からすればTAFEでの授業に比べれば100倍くらい楽でした ^ ^
TAFE当時は泣きながら辞めてやる!と(クラスメイトと一緒に)よく荒れ狂ったけど、今となってはこの先生に感謝してます。もしあの怒涛の1年がなければもしかしたら今のプログラマとしての私はなかったかもしれません。