私のお母さんは、厳しい人だった。
まるで、社会の厳しさの全てを自分が教えなきゃとでも言うような。
今思い返すと、私は幼稚園くらいから「子ども」を演じていたのかもと思う。
母方の親戚で、私が一番最初の子ども。
(兄が生きていたらそれは兄だったが、私の産まれる前に1歳前後で誤飲により亡くなる)
私は周りの大人に笑ってもらうことが楽しかった。
だけど、なんだか重くて嫌になった。
そういうとき、2歳下の弟の存在に助けられた。
「子ども」が自分の他にもいる安堵感。
注目されるのが自分だけじゃない開放感。
いつしか、カメラを向けられても笑わなくなった。イライラするから、カメラで撮られていることに気づかないふりをした。そして、ふてくされているように写る。
私の幼い頃の写真を見た娘に、
「ママ、ニッコリ笑う方がお顔が可愛いくなるんだよ?」
て言われた
そうだよね、て言っておいた。
そんなアドバイスされるなんて
5歳くらいの私の小さな体の中には、真っ黒い気持ち悪い何かがあって、
時々、この気持ち悪い感覚が胸のなかにジワリと広がる。
そんな時は、大好きな大人(決まって母の6歳下の妹で私の叔母)を考えて気を紛らわす。
だけど、だんだんと、私の気持ちを紛らわすことの出来る存在は居なくなった。
この気持ち悪い何かは大人になると消えるかな。早く無くなれと願っていた。
だからきっと私の5歳のダイヤモンド値は低い。
追記
そういえば、明るく振る舞うのに、自分の気持ちは言えない子だったことを思い出した。
その結果、かどうかは分からないが、幼稚園くらいから自家中毒になる。
私は運動会が嫌いだったんだけど、出たくなくて、それを強く思うとお腹が痛くなって嘔吐した。
そんな私を母は、「この子は神経が細かくて」と周りの人に伝えていた。
それを聞いて、神経ってなんだろ?って思ってた。
自家中毒は、小学校低学年くらいまで続いたんだけど、その頃には、便利だなと思っていた。
