ダメな人は細かい部分を詰めようと考える。

いままでの経験などから、これは言えること。

世界地図を見てみた。そして、地域地図を見てみた。
地域地図は地名やらなんやらゴチャゴチャ。
その情報を読み取るのは大変なことだ。
まだまだ、こんなにも世界はあるのに。

世界地図のおおざっぱさを常に持っておくこと。

ということで、旅行ぐらいの感覚である国に行って、サービスを立ち上げる。
戻って来て、次は別の国に行ってサービスを立ち上げる。
そんな感じで、国をおおざっぱに跨いでみてもいいんじゃないか?
「しっかりやりたいから、いま適当にやるのはやめとく」

こんなこと言う人がいた。
まだそんな人いたのか、と、ちょっとびっくりした。
この場合、だいたい、やらない。

そもそも『しっかり』とはなんなのだ。
完璧な出来、というものは存在しない。
やってみると、100%思うようにはならない。
そもそも、やり出すことすら出来ない人は、何も出来ないままだ。

自分への言い訳を見つけることに腐心していると、気づかなくてはならない。


自分が落ち目のとき、人の悪い所が目についてくる。
自分が調子のいいときは、人の良い所が目についてくる、わけではない。
調子のいいときは、人が自分の良い所を見つけてくれるのだ。
そんなときは自分が楽しくては、人のことはあまり目に入らないから。
「人が集まる場を作りたい」と言ってる人がいた。
自分には、どうもしっくりこない。
人が集まることが目的なんて、おかしくないか。

人との出会いが操作的に行われる。
例えば、昨今のSNSブームもそうだ。
出会うことが、そんなにいいものなのだろうか。分からない。

自分の『出会う』というのは『すれ違う』という感覚に近い。
自分が動いたら誰かとすれ違う。そのとき気が向いたら一緒にいる。
それは必然性も操作性もない出会い。それくらいが心地いい。


ここ最近、考えをまとめることに苦労している。
しかし、まずは時間をかけずに頭から出てきた言葉を、出てきたように記してみよう。
まずは、まとめるよりも、考えを巡らすことが大事。
友人がブログを始め、楽しんでたので、自分も再開してみることにする。

久しぶりに文章を書く気がする。
最近、あまり本を読まず、また小学生のアンケートの自由記述を入力していたので、拙い文章になっているだろう。
まぁ、それはいい。大事なのは考えをまとめる習慣をつけることだ。

今日、その友人のブログの書き方を見てビックリした。一つの記事を書くためにテーマを決め、メモを取り、さらにリサーチまでしっかりしている。
それは一つの論文であって、自分にはできない芸当だ。
自分は、自分に出来る範囲で、また続けれたらと思う。


先日、ある企画書を作って、ある場所に送った。
今回の企画書を作るにあたって、気をつけたことがある。
それは、人は企画書のどこを見て乗ってくるか、ではない。
そんなのは千差万別だ。

考えたのは、自分の押したい部分に食いついてきた人と一緒にやりたい、ということだ。
自分はその重きを『コンセプト』においた。
細かい部分は、省いた。ビジネス部分も幅を持たせた。
まだ、返事は来ていない。だが、ワクワクしてる。


自分は客観視という考え方がよく分からない。
一般に客観視と言われているものは、ただの主観でしかない。
自分が客観と決めただけだ。それは科学にしか存在しない。

今日、友人のプレゼンを見せてもらった。
コンセプトからストーリーを考えてプロダクトを作る、という主旨のものらしい。
最後まで聞いて、よくわからずフワっと終わってしまった。

部分部分は、確かに面白いものだった。
しかし全体を見たときによく分からない。
原因は、説明に無駄が多かったことに依存する。
ここでの無駄とは、聴衆を楽しませようとした節々のことだ。

そんなとき、よく言われるのが「客観的に考えたか」だ。そんなもの、分からない。
ただ、こんなときは全部を伝えようとするのではなく、1個だけ伝わればいい、と考える。
なぜなら、人はそんなに真剣に聞いちゃいない。自分だってそうだ。

そして、その1個の部分はなるべくスマートに伝える。
無駄を省くでもいい、何度も言うでもいい。
その部分を一つのキーワードで表現できれば、それでいいのである。


この記事およびブログも、それに当てはまるか。否。
このブログは、伝達よりも反芻に近い。
気がつけば、私は横たわっていた。
周りを見渡すと、いつもと同じような部屋の風景だが、何かが違う。
喉が渇いたので水を飲みに行こうと思ったが、何かにぶつかる。

見えない壁。

自分がいる空間と向こう側の空間。
明らかに何かによって隔てられているようだ。
状況を把握しようと、壁に沿って歩いてみる。
どうやら、2畳分ほどの空間に閉じ込められているらしい。

まいった。
このままでは水を飲みに行くどころかではない。
たまったお皿を洗ったり、買い物に行ったり、何も出来ないではないか。
なんとしても、ここを脱出せねば。

そして、目が覚めてから1時間ほど経った。
いろいろと抵抗してみて、いくつか分かったことがある。
まず、この壁は物の通り抜けは可能なようだ。
それから、音の通り抜けも、テレビをつけてみることで確認できた。

さらに一時間。
いまだ出ることあたわず。

まったくもって、とんちんかんなところに閉じ込められてしまったものだ。
今日一日の綿密なスケジュールをどうしてくれるのだろうか。
いったい何なのだ、どうしてこんなことになってしまったのだ。

そして夕方17時(この不可思議な空間が、外部と時間の連続な空間ならばだが)
もう、トイレが限界!!と力づくで抜け出そうと、壁にぶつかろうとしたらスルリと抜けた。

???

壁があったであろう部分を触ってみても何も無い。
、、、いったい、なんだったのだろうか。

ふとテレビを見ると、天気予報がやっていた。
『昼過ぎから雨がやみ、夕方頃には暖かくなるでしょう』

目を凝らすと、座っていた場所にはホットカーペット。
つまり、そういうことである。