火の鳥の力は、手にしてしまうと持ち主の心を掻き乱す。

過去をやり直せる、それはきっと抗い難い魅力なのだろう。

だから、ある者は求め、ある者は捨てようとした。

しかし、誰が大いなる力を簡単に捨てられようか!

自分がこうありたい、そう願った未来を作り出せるのに!

私が幸せなら、他の誰かがどこか遠いところで家族を失っても、命を落としても、構わない!

 

ああ、それが許されるのか?!

私は正しく生きていたいと望んだのに、かくも弱かったか!

 

本書に登場する者たちは誰もがそんな苦しみを、悲しみを、弱さを抱えている。

三田村財閥がどんな手を使ったとしても、緑郎が野心にまみれていたとしても、ルイや芳子がかつての王国を取り戻そうとしても、それは、どこかで納得し、理解できてしまう行動ではないか?

上巻では奔放な悪女とみえた麗奈の悲しみも、敵味方不明な猿田博士の行動も、ただひたすらに幸せになりたいというたった一つの想いから始まっている。

だとすれば、本当の悪は火の鳥ではないか?

この鳥さえいなければ誰も苦しまなかったはずなのに。

幼い頃漫画を読んだ時から思っていた。

火の鳥がそもそもこんなにも弱い人間の元に現れなければよかったんじゃないか、と。

だが、おそらくそれはそういうことではないのだ。

火の鳥はあくまでもきっかけに過ぎない。

争い難い力の前で、あなたはそこからどうするの、と火の鳥(作者)は問いかけている。

 

私たちは失敗から学ぶ。

でも1人ができることは多くはない。

だから代わりに作者は示す。

こうしたらこうなる、だから、正しいと思う方を、と。

そんなメッセージを受け取りつつ、純粋に私は本書を読めたことが嬉しい。

これこそ手塚、これこそ、桜庭一樹、これこそが、物語、小説!

乱世編から始まった私の『火の鳥』は何度でも繰り返しやってくるだろう。

そして過去には戻れなくても何度も私の間違いを正すだろう。

火の鳥!それは、きっと、私自身なのだ。