他者が他者であること

こんなときあんな本



他者が他者であること  宮城谷昌光

著者は小説家である。 さらに細かく分類するなら歴史小説家である。
この著者が『歴史小説』とは何かを定義するに至った思考の経緯を
この本のタイトルにもなっている『他者が他者であること』という
一文にしている。

自身の小説の原理を問いなおしたとき、
自分は感性と理性とで創作活動を行ってきた。
ことばの純度を高める方法論をおしすすめていくうちに、人間が乖離
することに気づいた、、、
これでは小説は書けない、、、
5、6年の模索の末、『悟性』の不足のせいではないか、経験にうらうち
された理性が『悟性』というならと。

この気づき以降、他者とは:
他者は自分の外なる他者で、自分の安危にかかわりなく存在する者であり、
理性ではなく悟性をそなえてはじめて理解の糸口をみつけうる存在であり、
そうでなければ感情によって多少の出入りはあるがまったく無関係な
存在である。そういう他者がこの世に、この世界に満ちていて、おおかたは
社会構造などによって無自覚に助けあって生きている。

人の存在に対する問いかけがなされ、小説といえる。
その点で『史記』司馬遷は、
個人を彫琢度が違う。人への問いかけの深さが違う。

『人は豊かでありたい。その願いは、何においても共通であろう。
そういう自分があるということは、そういう他者がいるということである
すべてはそこから発せられるようにおもわれる』。人への
との文で締めくくられている。