三蔵法師の旅の結末は
こんなとき、あんな本

「西遊記」 (上・下) 平岩 弓枝

 遠い昔、小学校の講堂で西遊記の映画を観た。
悟空が胸の毛を抜いて大勢の分身をつくるシーン、金閣や銀閣との
格闘シーン、三蔵法師が悲しそうな表情をするシーンなどなどを
断片的に思い出す。

 西遊記は少年少女向けも含めて何冊か読んでいるし、何種類かの
映画も観た。また、堺正章・夏目雅子のテレビドラマも観た。
しかし、旅の結末での取経のシーンは思い出せないでいた。

 今回、上記を読んでスッキリした。
また、改めて感じたのは、西遊記とは仏教礼賛の物語であることだ。
チーム大乗取経の各人が苦難を超え成長し、協調が強くなっていく
ところ、諸仏や山神が出てきて支援するところや、三蔵と弟子たち
とのやりとりは法話だなと。

 西遊記が確立したのは、中国で仏教が衰退した明朝であるとの
こと。こんな奇伝で仏教礼賛をし、興隆を試みたのだろうか。

 現代日本も仏教がより遠い存在になりつつある。
身近な宗教による心の平安や倫理観の涵養が必要なのではない
だろうか。
平岩弓枝版西遊記は、一つの答えではないかと思う。

子供心には悟空はヒーローだった。
悟空の頭の輪っかは金箍児(きんこじ)、得物は如意金箍棒
(にょいきんこぼう)、乗り物は筋斗雲(きんとうん)。
取経の旅の日数は14年(五千四十八日)、
取経の経典数は五千四十八巻。