寛容 一神教の限界
こんなとき、あんな本

ローマ人の物語(42・43) ローマの終焉(中・下) 塩野 七生

 中・下は、まさに終焉の過程が記されている。
その成り行きは、41巻の“カバーの金貨につて”に書いてある
ことにつきる。

 「亡国の悲劇とは、人材の欠乏から来るのではなく、人材を
活用するメカニズムが機能しなくなるのゆえに起こる悲劇と
いうことである。」

 その悲劇がエピソードとして語られている。
やるせないく切ない話である。

 また、ローマ人による「パクス・ローマナ」は、多神教ゆえの
寛容がローマ人と蛮族の同化政策を為し得、そのことにより
できたとしている。

 一神教の限界を示唆している。
信仰とは各人の心の問題だから脇に置いていて、他の分野で
共にできることを共同で行うとする考え方は、多神教にしか
可能でないのかもしれない。
それゆえ一神教にでも期待できるのは機能を分担した「共生」
が限界であるのかもしれない。

 巻末の付録Ⅰ ローマ人が自分たちにとって「基本思想」
としていたことの一覧がある。
それによると、敬虔・人間性・自由・寛容・道徳・権威・
信義・規律・厳格・威厳・一貫性であり、その意味・解釈が
記されている。
これらを自分のことばで定義してみることも大切だと思う。

 よぉ~し! 
 ローマ人物語(1) ローマは一日にしてならず(上)
平成14年9月25日5刷から読み始めた「ローマ人の物語」
を読み終えた。

いろいろ考えさせてくれた読み物であった。