わたしの10冊
「田辺聖子の百人一首」 田辺 聖子
船旅にお薦めです。長い船旅の間に、また不幸にして無人島生活になったとき。
どこから読んでもよい上に、一首の意味を歌にまつわる蘊蓄が楽しめます。
また、暗誦して記憶力を確かめることもできます。
蘊蓄の一例を紹介すると、平安時代にも拒食症はあったのです。
天歴の歌合せ(960年 村上天皇主催)、歌題20題(月、花、恋とか)に
選ばれた歌人がふた組に分かれ、天皇の前で歌を披露し、優劣を競いあう会が
ありました。最終題の「恋」で競った平 兼盛と壬生 忠見、双方の歌は判者が
優劣をつけるのに悩む優れたできばえのものでした。
判者が迷っているとき、天皇がふと兼盛の歌を口ずさみ、判定は兼盛を勝ちと
しました。自信満々だった壬生 忠見は、この負けを知らされると心が塞がり
「不食の病」になり、死んだのです。こんなエピソードがあり、この時の歌は
秀歌として語り継がれました。
その歌は。
「忍ぶれど色にでりけりわが恋はものや思うと人の問うまで」 平 兼盛
「恋すてふわが名はまだき立ちにけり人しれずこそ思いそめしか」壬生 忠見
ところで、この歌合せは、旧暦3月30日申の刻(初夏の午後4時)から始まり、
飲食付きで天皇以下女御も出席し、秀歌は披露されると贔屓の側がヤンヤヤンヤの
歓声をあげ、雅かつ賑々しく行われたそうです。
終わったのは、夜が白々と明ける頃でした。平安人は、優雅な時間の楽しみ方を
していたものだと羨ましくなります。
さらさらと20首くらい歌を詠み、蘊蓄を一つ、二つ語ってみては如何でしょう。
落語「ちはやふる」のご隠居さんより尊敬されること請け合います。
より和歌の世界にどっぷりという方には、「新々百人一首」丸谷 才一もあります。
「田辺聖子の百人一首」 田辺 聖子
船旅にお薦めです。長い船旅の間に、また不幸にして無人島生活になったとき。
どこから読んでもよい上に、一首の意味を歌にまつわる蘊蓄が楽しめます。
また、暗誦して記憶力を確かめることもできます。
蘊蓄の一例を紹介すると、平安時代にも拒食症はあったのです。
天歴の歌合せ(960年 村上天皇主催)、歌題20題(月、花、恋とか)に
選ばれた歌人がふた組に分かれ、天皇の前で歌を披露し、優劣を競いあう会が
ありました。最終題の「恋」で競った平 兼盛と壬生 忠見、双方の歌は判者が
優劣をつけるのに悩む優れたできばえのものでした。
判者が迷っているとき、天皇がふと兼盛の歌を口ずさみ、判定は兼盛を勝ちと
しました。自信満々だった壬生 忠見は、この負けを知らされると心が塞がり
「不食の病」になり、死んだのです。こんなエピソードがあり、この時の歌は
秀歌として語り継がれました。
その歌は。
「忍ぶれど色にでりけりわが恋はものや思うと人の問うまで」 平 兼盛
「恋すてふわが名はまだき立ちにけり人しれずこそ思いそめしか」壬生 忠見
ところで、この歌合せは、旧暦3月30日申の刻(初夏の午後4時)から始まり、
飲食付きで天皇以下女御も出席し、秀歌は披露されると贔屓の側がヤンヤヤンヤの
歓声をあげ、雅かつ賑々しく行われたそうです。
終わったのは、夜が白々と明ける頃でした。平安人は、優雅な時間の楽しみ方を
していたものだと羨ましくなります。
さらさらと20首くらい歌を詠み、蘊蓄を一つ、二つ語ってみては如何でしょう。
落語「ちはやふる」のご隠居さんより尊敬されること請け合います。
より和歌の世界にどっぷりという方には、「新々百人一首」丸谷 才一もあります。