ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破 | 今日も定時ダッシュ

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破

 「エヴァ:序」が割と普通の総集編だったので、このシリーズ自体がタダの総集編と見せかけておいて2作目でガラっと変えて来る奇襲作戦ではあるまいか?と思っていたが、「エヴァ:破」は確かに冒頭からオリジナルでぶっちぎる力の入りようでありました。いきなり登場したエヴァ5号機を舐めるように描写するシーンからイッパツでヤラれ、あとはもう我に返る間もなくあっという間に映画が終わってしまったという印象です。

 今回は、使徒との戦闘シーンが盛りだくさんで合間にシンジのウジウジしたドラマが挟まっている格好。使徒→ウジウジ→使徒→ウジウジ→という構成です。自分でも意外だったのはウジウジも含めて全編丸ごと面白かった事で、戦闘シーンのド迫力や気色悪さに圧倒されるのも、シンジがナルシスティックに悩む様に感情移入する場面も、観ていて(変な言い方だが)とても気持ちがよかった。

 TV放映されていた頃は自分が20代半ばで、当時は碇シンジの言動にムカついたもので、「エヴァンゲリオン」はそうであったが故に当時の十代の子達に莫大なインパクトを持つ作品だということは理解できても、どうしてもあの「かわいそうなボクを皆でかまって」というスタンスは当時の自分にはとても認められなかった。それが今回は、シンジのような感情はたいてい誰もが若い頃に通るものだから、なんとか上手く乗り越えて世間のどこかに自分の場所を作って欲しいという、もうまったく近所のオッチャンのような応援気分。さすがに40前になって多少は自分も大人になったようだ。

 これは自分が変わったのもあるだろうが、実際のところ、庵野監督がそれだけ円熟したからだと見るべきだろう。1960年生まれの庵野監督であるから、50歳を前にしていつまでも「ボクをかまって」という方がおかしい。TV版ではクラシックを多用していた使徒との戦闘シーンで、「今日の日はさようなら」や「翼をください」など、庵野監督が若い頃に流行った歌謡曲を乗せてくる辺り、若者ウケを狙うのではなく自分の子供の頃の価値観で今の若者を震わしてやろうという大人なスタンスを感じる。だからといってザ・ピーナッツや今陽子はどうかと思いましたが。

 レイがシンジの母親役なのは分かりやすいのだが、同様にアスカはシンジに対する女性である。それは決して理想の女ではないのでシンジのために盾になったり世話をしたりと都合良くは動かない。だからこそシンジは「Air/まごころを君に」でアスカに欲情し、最後のシーンで二人がアダムとイブとして惹かれつつ憎み合う存在になったのだろう。前シリーズはそこまでだったが、新生エヴァではアスカは登場したと思ったらサッサと退いてしまった。庵野監督にとっては、今さら女性の謎は物語として興味がないのだと思う。

 アスカに変わってクローズアップされたのが碇ゲンドウで、前シリーズでは息子を利用して死んだ妻と一つになろうという不届きなオヤジだったのが、今度はシンジに歩み寄ろうとしている。ゲンドウと同年代になった監督はこの歪んだ親子関係にどう決着をつけるのか、ついでに大人の側の事情であるネルフやゼーレの目的がついに描かれるのか、今から「Q」が待ち遠しい、いやさ、「Q」を観るまで死ねん!と思った次第であります。

こんな人にオススメ:かつてエヴァに染まった者が「破」を観ない理由がわからない。