ザ・バンク 堕ちた巨像
いきなり悪口で何ですが、この映画のカメラワークの単純さは何なんだ。例えばナオミ・ワッツが自宅で電話をかけるシーンで、奥のソファで寝ている子供を写した後でカメラが手前にフォーカスを当ててナオミ・ワッツにピントが合うという、「皆さんココに注目してください」と画面に矢印が付いているような奴。あるいはナオミ・ワッツとクライヴ・オーウェンの会話シーンでは、喋っている人間にフォーカスが当たって聞いている人間は画面手前でピンボケしており、話者が変わるごとにいちいちカメラを切り替える手法で、これは対話の構図ではない。この映画で奥行きを感じたのは美術館の銃撃シーンでガラスが降ってくる所だけで、あとはもう、奥行き禁止令でも出てたのかと疑うほど平面的な撮り方をしている。
これの何が悪いかというと、カメラが切り替わったりフォーカスが移る度に映画がブツブツ切れることで、緊張感も何もあったもんじゃない。義足の男を尾行したり、トルコのお城の地下でクライヴ・オーウェンが距離を置いて後をつけるシーンなど、絶対に奥行きが必要な場面ですら平面的なのっぺりした画面のままなのでサスペンスが全く盛り上がらない。こういう調子の映画で唐突に銃撃戦が始まっても観ているこっちは終始リラックスしたもんで、手に汗握ってるのは映画の中で美術館から逃げそびれた人のみという勿体ないことになっている。製作費1000分の1(推定)の「サイタマノラッパー」のほうがずっとマトモで凝った撮り方をしていると思うな。
監督の演出なのかカメラマンのセンスなのか、いずれにせよこれはもうワザとやっているとしか思えない。多くのシーンで画面に一人しか存在しない撮影から想像するに、「ザ・バンク」はインタビュー中心のドキュメンタリーを模して作られたのではないかと思う。銀行が悪の中心というフィクションを現実的な視点で語るために、この映画は意図的に緊張感や躍動感を排除したのだろうが、それなら美術館の銃撃戦の派手さは何なんだ。
昔のようにマフィアのボスとか武器商人が黒幕だった時代が懐かしい。しかし今では銀行の業務の一環として邪魔な人間を殺してます、という設定がリアリティを持つようになってしまった。だが「ザ・バンク」における悪役である銀行家の面々の地味な顔ぶれを見ると、今後のクライム・アクション映画の先行きの暗さが偲ばれてしまう。ダニエル・クレイグの007なんて同じ世界観でいきそうなんだけど、リアリティとエンターテイメントの間で舵取りが難しそうだなあ。
こんな人にオススメ:現代にコミットしたエンターテイメントを欲する方に
これの何が悪いかというと、カメラが切り替わったりフォーカスが移る度に映画がブツブツ切れることで、緊張感も何もあったもんじゃない。義足の男を尾行したり、トルコのお城の地下でクライヴ・オーウェンが距離を置いて後をつけるシーンなど、絶対に奥行きが必要な場面ですら平面的なのっぺりした画面のままなのでサスペンスが全く盛り上がらない。こういう調子の映画で唐突に銃撃戦が始まっても観ているこっちは終始リラックスしたもんで、手に汗握ってるのは映画の中で美術館から逃げそびれた人のみという勿体ないことになっている。製作費1000分の1(推定)の「サイタマノラッパー」のほうがずっとマトモで凝った撮り方をしていると思うな。
監督の演出なのかカメラマンのセンスなのか、いずれにせよこれはもうワザとやっているとしか思えない。多くのシーンで画面に一人しか存在しない撮影から想像するに、「ザ・バンク」はインタビュー中心のドキュメンタリーを模して作られたのではないかと思う。銀行が悪の中心というフィクションを現実的な視点で語るために、この映画は意図的に緊張感や躍動感を排除したのだろうが、それなら美術館の銃撃戦の派手さは何なんだ。
昔のようにマフィアのボスとか武器商人が黒幕だった時代が懐かしい。しかし今では銀行の業務の一環として邪魔な人間を殺してます、という設定がリアリティを持つようになってしまった。だが「ザ・バンク」における悪役である銀行家の面々の地味な顔ぶれを見ると、今後のクライム・アクション映画の先行きの暗さが偲ばれてしまう。ダニエル・クレイグの007なんて同じ世界観でいきそうなんだけど、リアリティとエンターテイメントの間で舵取りが難しそうだなあ。
こんな人にオススメ:現代にコミットしたエンターテイメントを欲する方に