山村の集落の、実家の敷地内にある離れで、多々良ラタタは引きこもり生活を送っていた。
ラタタは、窓さえ開ければいくらでも入って来るであろう新鮮で心地よい風を、しっかり締め切って拒み、薄暗い部屋の中で一人空腹を感じていた。家に行けば、小言を言われながらでも食事を準備してもらえる。しかし、その間に自分が感じるであろう居心地の悪さをラタタは嫌った。
(面倒だが、なにか買い出しにいくか)
彼は重い腰を上げ、集落で唯一の商店である西森ハンニバル商店に行き、食べ物を探したが、あいにくすぐに食べれそうなものは茶碗蒸ししか売っていなかった。
しょうがなく茶碗蒸しを購入し部屋に戻ったラタタは、レンジで温めることもせずにそれを食べ始めた。冷たい茶碗蒸しが、つるりと舌の上を滑っていくのを感じながら、ラタタはある妄想に耽った。
それは、この山に、都会の若い男女がドライブデートで訪れている場面だ。二人はしばらく山道をドライブし、トイレと自動販売機がある小さな公園を見つけ、車を止める。車を降りると二人は大きく背伸びをするのだ。
「うーん。良い空気」女が言う。
「この辺はよくドライブするんだけど、夜になったらすごい星がいっぱい見えるんだよ。今日は晴れてるから、たぶん見れるんじゃないかな」男が得意げに言う。
「楽しみー」女が笑う。
そして二人は、再び車に乗り込んで山道を走っていくのだ。
ラタタは妄想を終えると、怒りで、持っていた小さな木製のスプーンを握りしめ、へし折った。そして彼は折れたスプーンをポケットにしまうと、部屋のわきに置いてあるドッグフードの袋を持ってまた部屋を出た。彼は敷地の背後にある山に、けもの道を分け入って登って行った。
数分山を登ったところで、彼はドッグフードの袋をパンパン叩きながら「ハイホーハイホー」と声を張り上げた。すると、バサバサと羽音をならしながら若いカラス天狗が空から舞い降りてきた。
「おう、ラタタか。愛犬元気か。気が利いてるな」
カラス天狗はラタタからドッグフードの愛犬元気を受け取り、ボリボリと音を立てて食べた。ラタタはポケットから折れたスプーンを取り出すと、カラス天狗に無言で示した。
「うーん・・・なにをどうしてほしいのか分からないけど、どうせ聞いても答えないんだろう?だったら、この先の洞窟の中にある、御社さんに女神が住んでいるから、頼んでみたらどうだい」カラス天狗は言った。
ラタタは少し考えると、おもむろに歩きだし、山をもう少し登って、洞窟に到着した。洞窟のなかはひんやりして、時々天井から水滴がぽとりと落ちてくる。懐中電灯などをもってこなかったので、背後から差し込む明かりを頼りに進むと、洞窟はそう深くまで続いておらず行き止まった。そこに、カラス天狗が言っていた御社があった。
「人間が何用だ」
御社の前に、薄い煙が立ち上り、それはやがて美しい女神の姿になった。
「私がこの森を守る女神アルテミスと知って、ここに来たのか」
ラタタはカラス天狗にしたように、折れたスプーンをアルテミスに差し出した。
アルテミスはそれを数秒見つめた後、
「わかった。私がなんとかしよう」
アルテミスは両手を掲げ「とふかみえみため、かんごんしんんそんりこんたけん、はらいたまひきよめたまえ」と祝詞を唱え始めた。
厳かな雰囲気に包まれながら、ラタタはまたもや妄想状態に陥った。
都会の恋人たちを乗せた車は山を下っていき、麓近くのラブホテル・コンスタンティノープルに入った。夜になり、戯れが一段落した二人は、窓から夜空を見上げた。
「うわあぁ、すごい星空」女が言った。
「だろ。街じゃこんなに見えないからな。ほら、あそこの星が三つ並んでるの・・・オリオン座だ」
「本当だ・・・すごい」
空気は澄み、星の光が凛々と音を鳴らしながら降り注いでいる。恋人たちの時間はゆるやかに流れていった。
気が付くと、ラタタの手には血まみれのサングラスが握られていた。
「どうじゃ。これでおぬしも満足じゃろう」
アルテミスは頬を紅潮させ、体からホカホカ湯気を上げながら得意げにラタタに言った。
ラタタは無言のままアルテミスに頭を下げると、血でぬるぬるするサングラスを手に洞窟を出て、部屋に戻った。部屋に入ると、無断で上り込んでいたカラス天狗が床に寝そべりながら、
「よう、どうだった」
と声をかけてきた。
ラタタは血まみれサングラスをカラス天狗に見せた。
「ああ。これは、紫外線を通さないんだよ」
カラス天狗が言った。
ラタタはサングラスをかけて、窓をあけ空を見上げた。
モノクロの空に血糊が濃紺をつける。
(こんなんじゃねえや)
ラタタはやはり、無言だった。
おわり