『森永卓郎著.増税地獄〜増負担時代を生き抜く経済学❣』を読んで

わたしが、本著を読んで、いちばん明らかにさせたかったこととは、『何故、人間に貧富の差がしょうじるのか?』という、非常に基本的な問いへの答えだった。
わたしが、上記のように考えた理由には、本著第一章で書かれている『エブリシング.バブル』という現象についての、森永氏のというより、むしろ私感が、寄与するところが大きい。
主に円高(3割).資源高(七割)から、日本の物価上昇が見込まれているという。
近々のエブリシング.バブルとは、ウクライナ問題と、円安が原因である、と報道されがちである。
森永卓郎氏によれば、其のふたつの
原因に先立つエブリシング.バブル(石油、小麦、木材など、あらゆる商品が大きく値上がりする現象のこと)の原因は、バブルらしい。
ニューヨーク市場の原油価格は、2020年4月には、一時マイナスになったのにも関わらず、その後急激に上昇した。(中略)つまり、ロシアのウクライナ侵攻は、値上がりに拍車をかけただけということになる。
遡るが、2008年のリーマンショックによって、経済が低迷したため、世の中で金融緩和が行われた結果、資金が投機に向かい、バブルを引き起こしたのだという(森永氏談)
少し、話が飛ぶが、わたし(筆者)は昨秋、とある本を読んだ。
そのタイトルは『家事労働と資本主義(B.ドゥーデン.C.v.ヴェールホーフ著.丸山真人編訳)』という。
本著の概要といえば、資本主義に則られた労働は、労働自体の形骸化を招き、労働者から、労働の楽しみを奪うのだ、というものだ。
加えて、筆者はこう論じたい。
バブル経済の泡とは、抽象化された『幻想』に等しい。
発展した資本主義経済、また社会そのものが、労働者や、暮らす市民から、働くことや、生きることそのものが齎す喜びを麻痺させ、無限の投機や、形骸化された労働へその身を投じさせていくといえる。
幻想が、約束手形の発行に一役買い、その無益なプロセスより生じた別の幻想が、新たな投機を生んでいく。
実態のないお金と金額の化かし合いは、いわば半永久的に続けられ、人間たちの関心は、より『最後の不渡り手形を掴まされる対象としての人間』に向かっていく。
バブル経済の果てに、最後に損をさせられる人間が、例えば女性である、と仮定したとしよう。
彼女のまわりには、具象的もしくは抽象的に、たくさんの、自分の魅力により、彼女を振り向かせたい対象の男性が群がっていることは、想像に難くない。
その女性が、まわりの男性全員に『No(振り向かないの意)』を突きつけた瞬間が、バブルがはじけた(つまり、実体経済に引き戻され、政府が増税に踏み切る)瞬間なのではないのか?
大所高所から論じれば、『脱コロナ』周期といわれ、停滞した社会の動きを加速させようとしていた期間が終わり、老若男女が、社会的.経済的.及び教育的活動の本質に眼を向けはじめたときこそ、増税がはじめられる瞬間である、と筆者は思う