今思えば、の話ですが
私にとって、
不妊治療を始めてからの2年間で
一番しんどかった時期は、
人工受精をしていた頃だと思う。
体外・顕微をやっている今からすると
人工受精なんて、所詮は自然妊娠じゃないか、という印象だけど、
あの頃はまだ、
不妊治療というものを
過剰に期待していたし、
落ち込むことにも
慣れていなかった。
不妊治療の門を叩き、
タイミング法を半年ほど試した。
タイミングを指定され、時期が来たら連日頑張るっていうのも結構しんどかったことを覚えている。
でもこの頃は、まだそれほど焦っていなかった。
AMHの数値も知らなかったし。
その後、人工受精にステップアップしたけど、ちーさんの成績は元々良かったし、あんまり回数やる意味もないのかな‥とは思っていた。
ちーさんは定時に上がれるような仕事じゃないから、人工受精をするなら、持ち込みで朝イチ。
私も9時出勤で仕事をしているし、職場の上司にも打ち明ける前だったから、仕事の日に当たりそうな時は本当にどうしようかと何度も頭を悩ませた。
今回はうまく週末にあたりそう!と思っていても、自分の体に結局振り回され、予定がずれることばかりだった。
昔から過干渉の私の祖父(昭和一桁生まれ)は、私たちの事情は何も知らない中で、
「女性は子を産んで、家庭に入り、子育てをするのが務めだ」「家も持たずに、将来設計はどうなっているのか」などと、しょっちゅう手紙やら直接会った時に言ってきて、ちーさんも相当参っていた。私が実家に近寄らなくなったのも祖父が一番の理由。
不妊治療と自分の生活のバランスがよく分からないまま、ストレスばかりが大きくなり、うまくいかないという事実だけがどんどん積み重なって、このまま治療を何年も続けるなんて到底無理だと思っていた。
でも。
今まだ、私たちは
休むことなく治療を続けている。
不妊治療に耐性がつき、
過剰な期待もなくなった。
気持ちのコントロールも
昔より出来るようになってきた。
自己注射や、度重なる通院で体の負担は大きいし、高額の治療費も大きなダメージだけど、
気持ちの面ではむしろ
安定してきたような気さえする。
期待しすぎず、
妊娠できない自分に慣れてきた、
といったところだと思う。
その分、自信を失い、希望を失い、
いろんなものを失ってきたと
感じるけど。
おそらく、
1年前より
つらくない。
何を言いたかったのか分からない終わり方になってしまいましたが、
もし、妊娠できる年齢と使えるお金が無制限だとするなら、
いつまででも治療を続けられてしまうんじゃないかな、って思いました。
麻痺って、言うのかな。こういうの。
この状況には慣れてしまったけど、
一刻も早く脱出したい。
その気持ちを忘れずに、
頑張ろうと思います。