【税の使途決定機関構成員の大きな罪】

税金は、支払っている人の数だけの信頼です。正しく使ってくれるだろう、今度こそ正しく使ってくれるだろう、という信頼。たった一円にすら、人口の数だけの信頼が乗っているのです。税金の無駄遣いや、私腹を肥やす人は、大きな罪を背負っているのではないでしょうか? 税金は、70億人以上の信頼です。その信頼は途方もない大きさなのではないでしょうか? 年金基金の人も、同じです。


【殺人】

信頼どころか、信頼の発生源を絶つという、想像を絶する大罪です。生きる、生きたい、という、信頼と希望を奪うことは、大罪以外のなにものでもありません。そしてそれは、社会構成員のすべてに、不信を生むという、付随的な大罪も、背負わせることでしょう。



あとは、それぞれが深く考えてください。そして議論してください。すると、いじめの罪の大きさ、自殺の罪の大きさ、などもみえてくるでしょう。拉致の罪の大きさもみえてくるでしょう。テロリズムの、その途方もない罪の大きさがみえてくるでしょう。なぜならそれは、全世界へ不信を植え付けるという、極大の罪だからです。全世界構成員の信頼を脅かす、極大の罪です。我々はそれに対し、自衛としての戦いに望むしかありません。命を守るため、命を奪うしかない、そんな状態に、我々を導いてしまうのです。


ある宗派の行為を制止するための説得ができるのは、その宗派の指導者をはじめとする人にしかできないでしょう。同じ宗派の者にしか、わからぬことは多いはずです。本来啓典の翻訳は不可能であるらしいですし、多言語の私のようなものには、説得は到底不可能です。情けないですが。

しかし、その同じ宗派の人が、もしも彼らを説得し制止することができたなら、それは多大な「善徳」が説得した人にもたらされると考えています。逆に、彼らを同じ宗派の方々が放っておくことは、多大な「悪徳」を積んでいると考えています。理由は御自身で考えてください。


※私はいっさいここで、特定の集団などを名指ししていないことを、強調させていただきます。いっさい名指しをしていないこと、了承ください。