「罪」について、具体的な事例をもとに、考えていきます。


食品偽装。近年、話題のものですね。これはそのまま、「我々の信じていた食品ではないものだった」という、「信頼を裏切る行為」としての「罪」、と呼べるのではないでしょうか?そしてここにはもうひとつ、「罪」が付随します。

それは、我々の「信頼」という根本原理を脅かしたこと、です。

「信頼」なしにはなにひとつ行動できない我々に、「不信」、を植えつけてしまうこと。「不信」は我々を生きにくくさせます。生の輝きを確実に奪います。「信頼」あってこそ、我々は生きられるのですから、そのあってしかるべきものを「不信」によって損なわせること、それは大きな「罪」でしょう。直接的な被害者だけでなく、それを知り「不信」を持った人すべてへの、「罪」、といえるのではないでしょうか。


盗み。所有物はどうしても無防備にならざるをえません。完璧なセキュリティなど、この世に存在しません。必ず破られる可能性はあるはずです。我々はそこで、「信頼」するしかないのです。

所有物は必ず奪われる可能性がある。そこで所有者にできるのは、「盗まないよね?」、という「信頼」を持つことだけです。「盗まれる……」、その確信だけもってたら、はなから所有はしませんよね。「盗まれるかもしれない。でも、きっと大丈夫」という、意識的・無意識的信頼があってはじめて、所有を可能にさせます。

盗みはその「信頼」を裏切る行為です。そしてその裏切りは、我々の根本原理である「信頼」を損ねる、「不信」を植えつけます。それは、我々の生きるうえでの必要不可欠な根本原理である「信頼」を脅かす、「罪」なのではないでしょうか?


他の事例は皆さんに任せます。時間が足りません。


この世界での「罪」の多くは、我々の「信頼」を裏切ったり、脅かしたりすることなのではないでしょうか。我々は「信頼」なしには、何一つ、行動できないのですから。