この世には、様々な行為や経験があります。「歩く」「走る」「歌う」、など、例はいくらでもだせますよね?「生まれる」もそのひとつです。「死ぬ」もそのひとつです。「生まれる」という経験、「死ぬ」という経験。


これらの行為または経験には、必ず「主体」があります。


「歩く」      何者が?   人、動物、など。

「走る」      何者が?   人、動物、など。

「歌う」      何者が?   人、動物、など。

「生まれる」   何者が?   多種多様な生命。

「死ぬ」      何者が?   多種多様な生命。


この現実に、「主体」のない状態で、行為や経験は存在できるでしょうか? 「歩く」、それだけがこの現実に存在できるでしょうか? 「走る」「歌う」「生まれる」「死ぬ」、それだけが「主体」なくして、この現実に存在できるでしょうか?


きっと、行為や経験には、それをする「主体」が存在するはずです。行為または経験には、必ずそれをする「主体」が存在するはずです。例外はない、そう考えるのが自然だと思えます。