昨夜から突風が吹き荒れていた

こんな日の休日は家でゴロゴロするに限るのだが、電車に乗って小田原方面へと向かっていた

以前TVで見た小田原にある早川漁港の魚市場食堂が気になっていたのだ


小田原駅〜ミナカ




小田原駅へつくと「はやかわ」への駅名表示板がお迎え

否が応でも気持ちか昂るが、その気持ちを抑えてブラブラ歩きながら早川まて行くことにした

東口を出て右手はオープン間もない商業施設「ミナカ」が直結している

ミナカは最近流行りの城下町風の施設

いきなり誘惑に負けてしまい、早川漁港へ行く前にアジの唐揚げ塩麹味をたべてしまった

正直なところ鯵はやっぱりフライのほうが合う


ミナカから早川



小田原城のお掘り沿いを抜けて1号線をでて、ういろう博物館や市電の展示などを見ながら30分ほど歩く

小田原みかんを¥100で無人販売していたりして、漁港にたどりつくまで、なかなか誘惑の多い道のりだ

地名にもなっている早川に架かる橋を渡ると、魚料理の店が並ぶ

海鮮目当ての観光客も多く、インバウンド客も含めて人気スポットになっていることがすぐに分かった


早川漁港


賑やかな通り抜けて行き止まりのところに、せりが終わって閑散とした魚市場へ出た

入り口には大きく「関係者以外立入禁止」と書かれている

それを見て引き返していく人もいたが、よく見ると下に「魚市場はこちらへ」と案内板がある

意を決して人っ子一人いない市場の中に入り、ビルの裏口にありそうな古びた階段を上ると、市場全体を見下ろす細いデッキへとでた。

周囲の雰囲気に怖気づいて階段手前て固まってしまったツレをおいて先に進む

建設現場の事務所のような手動のドアを開けると、そこは食堂だった

会議室のようなところにに簡素な椅子とテーブルが並べられただけの部屋で、大勢の人が黙々と海鮮をかきこんでいた


魚市場食堂


人気の限定20食の小田原丼は既に売り切れていて、海鮮丼と上刺身定食の食券を自動券売機で購入

海鮮丼は地魚が10種類程度入っているので、刺し身メインであればこちらがおすすめ

どんぶりは見た目より深く、刺し身が三層ぐらいに重ねられていて見た目よりもかなり多い

上刺身定食は刺身の種類は少ないが、アラ汁とアジフライがつく

こちらもボリューム満点だ

アラ汁は本物のアラなので食べるところはほぼないが出汁は良く出ている

アジフライは臭みがなく、大き目のサイズなのでアジフライ研究家としてはまずまずの合格点をあげてよいだろう

刺し身は、新鮮で、あまり見かけない魚もはいっているので、市場感がある

早川漁港から一夜城(石垣城)


食べ終えて向かったのはTOTOCOという魚の駅

ここにも食堂があるが、ここはどちらかというとインスタ映えのメニューが中心のようだ

これで今日の外出の目的を果たしてしまったのだが、まだ時間はお昼すぎ

何か面白いものはないかと地図をみていると「一夜城」が目にとまった

ナイトクラブのような艶かしい名前から「熱海城」のようなバチモンを想像していた

いつものようにグーグル先生に聞いてみると、豊臣秀吉が小田原城に立てこもる北条氏を威嚇するために建てた紛れもない本物の城趾だった

築城期間は僅か80日

一夜にしてたったかのように見せるために、壁は本物ではなく木枠に白い紙を貼ったものだったらしい

伊達政宗がそれを見破ってさすがであるという伝説が残っている
が、気づいていても誰も言い出せなかっただけだと思うが…

徒歩約2キロぐらいなので歩いてみることにした

早川駅を超えて、海とは反対側の山を登っていく

早川魚藍大観音から新幹線のガード下を抜けると石垣城(一夜城)の看板がみえる

「海蔵寺」から舗装されていない道を登っていく

一夜城(石垣城)



山頂には有名なパティシエのカフェレストラン、鎧塚ファームがあったが残念ながら休業日てあった



すぐ横に石垣に使われそうな石が置かれているか、これは江戸城建設のために石垣山から切り出されたものらしい

無数の穴は石を割って加工するために掘られたものだそうだ


鎧塚ファームのすぐ横が石垣城への入り口だ

一夜城というと、簡易的な城を想像していたが、立派な城壁か残っている

入り口の看板には小田原城を包囲する豊臣の軍勢の配置が描かれていた

徳川家康や黒田官兵衛など名だたる戦国武将達が名を連ねる

これで海も含めて四方八方から取り囲まれ攻め込まれたらひとたまりもないだろう


崩れ落ちた石垣を横目に登っていくと広々とした芝が広がる二の丸にでる

そこから一段高くなった所が本丸

更に奥の小高くなったところに天守があったとされる

当時使われていた瓦が落ちているそうだが、迂闊にも見過ごしてしまった



二の丸から少しだけ下ったところにある井戸曲輪跡

「淀君化粧井戸」とも呼ばれるように、秀吉は自身の妻である淀殿を呼び寄せていた

各武将たちの妻や千利休までも呼び寄せて、北条氏との長期戦に備えていたという

この時、別の豊臣軍が八王子城を撃破し、忍城では石田三成が水攻めで苦戦していた報告をここで受けていたのだろうか…

その一方で圧倒的な武力と財力で、蟻の這い出る隙間もないほどに小田原城を取り囲んで相手が降伏するのひたすらに待っていた

眼下に小田原城を眺めながら、戦を仕掛けるでもなく、まるでビール片手に野球観戦でもしているかのようだ

北米プレートとフィリピンプレート



真ん中の緑がこんもりしたあたりが小田原城

奥に見えるのが三浦半島

その手前に見える大磯丘陵の辺りは北米プレートでその下に、小田原側からフィリピンプレートが潜り込んでいる

プレートの境界線が、美しい風景をつくりだしていた



帰り道は舗装された車道を通って下山した

看板が出ているので迷うことはないだろう

帰途



小田原で見かけた消防署

お城風建物と小田原市ちょうちん



小田原駅まで戻ると、再び「ミナカ」へ

魚市場食堂で食べすぎたので、ミナカ内のフードコート「小田原ちょうちん横丁」の二八蕎麦正庵で小田原おでんと日本酒を軽く一杯帰路についた



一夜城(石垣城)は予備知識ゼロの状態で行ったので、見落としてしまった点もおおかったのだが、非常に興味深いところであった

秀吉のような破天荒な天下人の心中など、私ごときにはうかがいしりようもないが、一夜城(石垣城)に登り小田原城を見下ろしたとき、

天下をとったぞ!

という秀吉の高揚感が伝わってくるような気がした