天空のレストランへの招待状

私は日本の定食文化をこよなく愛している。

¥680の日替わりランチを食べられる事に幸せを感じ、日本に生まれて本当に良かったと思っている。

そんな私のもとに、一通の招待状が届いた。

「アンティカ•オステリア•デルポンテ」

何やら呪紋のような文字が書かれている。


調べてみると、どうやらイタリアミラノにある三ツ星レストランの名前のようだが…

何故そのレストランが東京駅の目の前の丸の内ビル36階にあるのだろうか?

実は不思議な空間で繫がっていて、できたての料理がミラノから丸ビルの36階に瞬時に運ばれてくるらしい…

と、実しやかに噂されている。

ともあれ、天上人(富裕層)が訪れるという、このレストランへ、ツレと2人で行ってみることにした。



入口には数々の受賞歴が誇らしげに飾られている。


なにやら「ドレスコード」なる暗号を言えないと入店を断わられることもあるらしい。


カメリエーレ


受付横に置かれた、ミラノ本店の初代オーナーであるところの天才シェフ、エツィオ•サンティンの写真が指し示す方向には長いワインセラーが続いていた。


そこを通り抜けると「天空のレストラン」が姿を現わす。


中ではテーブルの数に比べて、明らかに多すぎる黒服をきた男女のカメリエーレが、音を立てずにテーブルの間を動き回っていた。


着席すると、ナプキンの上になにやら「デグスタシオン」と書かれたカードが置かれている。


天上人語なので意味はわからないが、今日のランチコースの名前らしい。


カメリエーレの一人がどこからともなく現れた。


ニヤニヤ「それでは本日の流れを説明させていただきます。

長崎県産真蛸とラディッキオ プレコーチェのサラダ仕立てに、なめらかなリコッタチーズのクレーマとパンテレッリア産ケッパーとアンチョビソースを合わせたもので、ラグーソースにセタロ社の奇跡のパスタが…」


と前菜からデザートまでの説明が延々と続く。


私とツレは、まるで給食の前に因数分解の説明を聞かされている小学生の様に、ウトウトし始めていた。





ドリンクをきかれたので、白ワインのリストから「grillo」の2020年物をグラスでオーダーした。


一番安い物を頼むと軽く見られそうなので2番目に安いものを選んだのだが、予想もしなかった反応が帰ってきた。


デレデレ「さすが、お目が高い。こちらのワインは実は日本ではまだどこにも販売されていないワインなのです。

実は私共の秘密の通路をとおってイタリアから運ばれてきたものでして…   」


滝汗「あっ、失礼しました、これは社外秘でした」


と言って、そそくさと去っていった。


あらかじめセットされていたフリスビーができそうな大皿の上に、小さな陶器でできたスプーン状の皿が置かれた。


クラッカーのようなものの上に洋梨が乗った料理だった。


さて、これはいったいどうやって食べたら良いのか?


とドキドキしていると、


ウインク「そのままスプーンをつまんでお召し上がりください」


とどこからともなくカメリエーレがやってきて声をかけてきた。


高い吊り橋などドキドキするような場所にデートで訪れると相手が好きなのだと勘違いしてしまう事があるらしいが、そんな効果を狙っているのだろうか?


そんな事を考えていると、


真顔「お水はいかがですか? 一杯¥800です。」


と聞いてきた。


¥800?  聞きまちがいかと思い見返すと、それを察して


ニヒヒ「この水は一杯で¥800ですが、減らない水なので一杯だけ頼んでいただければいくらでも飲めます」と言った。


本当にそんな不思議な水があるのかと思い、試しに頼んで飲んでみる。


すると飲んで減っているはずのコップの水が、いつの間にか元の量に戻っていた。


驚いてツレに確認すると、どうやら私がよそ見をしている隙に、さっきのカメリエーレがやってきて瞬時に水を継ぎ足していったらしい。



デグスタシオンコース


アンティパスト


長崎県産真蛸とラディッキオ ブレコーチェの

サラダ仕立て滑らかリコッタチーズの

クレーマとパンテレッリア産ケッパーと

アンチョビのソース


フリスビーができそうな大皿が下げられると、今度は皿の下のテーブルクロスの編み目まで見えるほど透き通ったガラスの皿がおかれた。


ガラスの表面はざらついていて氷の冷たさをイメージしているかのようだ。


料理は鮮血と内臓が飛びだしたようなグロテスクな外観とは裏腹に、ほぼ素材だけで味を組み立てたアッサリとしたものだ。


恐ろしく長い呪紋ののような天空文字で書かれた料理の名称は、日本語に翻訳すると、タコとチーズのアンチョビサラダといったところだろうか。



プリモ•ピアット


みやざき地頭鶏のラグーソースで和えた

奇跡のパスタ セタロ社のスパゲティーニ

トレンティーノ産ヴェッェーナチーズと共に


驚きは更に続く。


透明な皿が下げられるとUFO型の巨大な皿の凹んだ部分に盛り付けられたパスタが運ばれてきた。


すかさずカメリエーレがそそくさとやってきて、誇らしげに言い放った。


ちゅー「こちらは奇跡のパスタでございます!」


何が奇跡なのか良く分からないが、そう言われるとそんな気がしてくるから不思議だ。


説明によると、ナポリ近郊のベスビオ火山の麓に小さな村がある。


その村のセタロ一族が湧き水と小麦のセモリナのみを使い、手間ひまかけて自然乾燥でパスタを作っている。


300年間続く伝統的な技法を守り続けているということだ。


セコンド・ピアット(魚) 


日本全国から届いた旬の鮮魚のソテー

ボルロッティのクレーマと花びら茸をそえて

黒胡椒と10年熟成バルサミコのアクセント



メインは魚と肉から選べるのだが、ツレは魚、私は肉をチョイスした。




    

セコンド・ピアット (肉)


本日の銘柄豚グリル

香り豊かなハーブソースで


ここまで来るとメインはさぞかし驚くような皿が使用されるものかと思っていると、普通の真っ白な皿に盛り付けられていた。


なるほど、ここが天才と凡人の違いなのだ。


良い意味で期待を裏切られた。


皿を真っ白なキャンバスに見立てて絵画のように料理を盛り付けている。


物申す「今度はカメリエーレの説明や皿じゃなくて料理だけでで勝負してやるぜ」


と言うシェフの気概が伝わってくるようだ。




本日のデザート

自家製ティラミス



デザートは透明なグラスに、まるで何やら卵のような形状の白い物が数個盛り付けられていた。


まるで未知の宇宙生物の卵を食べているような気分になる が、中身はマスカルポーネチーズをふんだんに使用したティラミスであった。


グロテスクさと美しさを交互に打ち出してくるコース料理の最後は、ありふれたプティフールとカプチーノのダブルで締めくくられた。


それが夢から現実世界へと連れ戻される合図となる。


そこまで計算しているようだ。




38階の北側と東側がレストランの窓となっていて北側は新丸の内ビル、東側は東京を見おろしている。

両方を見おろすコーナーの席が特等席だと思われる。

気がつくと入店してから2時間が経過していたのだが、そんなことを全く感じさせなかった。

料理もさることながら見事に計算尽くされたサービス、それこそが三ツ星レストランの証なのであろう。

日本の計算不可能な「オ・モ・テ・ナ・シ」文化に匹敵するヨーロッパ文化の「サービスの方程式」の底力を見た気がした。


料理は美味しかったのか?

美味しい、とか不味いとかは絶対的なものではなく相対的なものであるということはある程度科学的に証明されているらしい。

味覚や視覚など五感を総合して、前に食べたものより優れていれば美味しいと感じ、劣っていれば不味いと感じる。

つまりは、普段から¥680の日替わりランチに幸せを感じている私にとっては昇天しそうな美味しさだった。

しかし、普段からこのような料理を食べ慣れてしまえばその美味しさを感じることはないのかもしれない。

逆説的にいえば、そこにこそ日本文化の結晶ともいえる日替わりランチの価値があるのだ。