「五月雨(さみだれ)」と「梅雨(つゆ)」
一見同じ意味のようでいて、異なる響きと余韻を持つ日本の雨の言葉。
その違いや背景を言葉の響きと香しさの視点から紐解いてみました。
言葉と香りでたどる、日本の雨の情景。
ぜひお読みいただけたら嬉しいです。
↓
五月雨(さみだれ)と、梅雨(つゆ)は同じことば
陰暦五月ごろの長雨で夏の雨は、梅雨
と、その前に
芒種の時季に入っています
二十四節気ですね
五月雨(さみだれ)と梅雨(つゆ)
この2つの雨の名前
このように細やかに言葉がある日本語
私たち日本人は田植えというものが、
何千年と生活文化にあったからともいわれています。
漢字「雨」も「梅」も
自然と食にちなんでいます。
漢字は中国からとのようですが、
五月雨は「ごがつあめ」梅雨は「ばいう」と読まれるものでしょうか。
日本の美しい響きあることば
「さみだれ」 「つゆ」
和語ならではかと思います。
さみだれ・・・
つゆ・・・
うっとうしい雨が
この読み方のほうが、美しい響きと
雨の表情を感じます
ほんの少し
ほぐされるような言葉の響き、
そこから明るくも涼やかな情景がみえませんか
例えば、梅雨といえば、紫陽花を想像したり、かたつむりを思い出す
新調した雨傘、もらった雨靴で出かける
憂鬱な気持ちから明るいほうへ
日本の風景たるもの、自然風物は心を解きほぐし
守ってくださるようです
私たち祖先は鬱々することなくも
無意識に、気持ち切り替える術としていたのかもしれません。
空に願いをこめたり、花を愛で喜びをエネルギーにしたり
日本の言葉は
ネガティブな部分だけでなく ポジティブへと心誘うもの
亡恩人曰く「日本の言葉は多面的 ポジティブに捉えなくてはならない」
と、よくおっしゃっていました
1つ1つの言葉が持つイメージを「大衆の平均的感性」という客観的な尺度で捉えた
理論体系でもあることがうかがえるのです。
五月雨は”雨そのもの”を指し、梅雨は”降る時季”をさします
「梅雨に入る、梅雨明け」など使うように降る時季のための言葉
また梅の実が熟してくるころの雨ですよ~とわかるように。
先に書いたように、私たち日本人は、田植えや農業、畑という自然と共に生きてきた
なので言葉には必ずいわれがあって 深く面白いものです。








「さみだれ」と「つゆ」
言葉の表情からも捉えてみました
「さみだれ」samidareは、
大衆感覚をしっかりともった表情を捉えていて、雨そのものの音やリズムからかたちのある表情を捉え、
躍動ある雨の雰囲気があります。じっとり勢いよく降る雨、しとしと降る雨の状態を捉えます。
「つゆ」tsuyuは、清らかな表情の中に優雅さ含み、情緒ある面影。
五月雨と違って、動き無くとどまる。停滞気味で動かない梅雨の表情が感じられます。
さみだれは姿、つゆは型でしょうか
それぞれの役目を物語るような表情が捉えられています。
天声人語にも紹介され、多くの原稿を寄贈した亡恩人の客観的な数は
戦前戦中の日本の心と美しい日本語に包まれた時代に生き、同時に失われていく時代も
生き感じながら研究したからこそだと思います。
言葉だけでなく、その心情や日本の未来を常に心配されていました。
そのような優しい殿方から口伝で学べたこと、今もなお感謝で溢れます。
夏は、心気強くなりますため、
気血消耗しやすくなるそうです
冷やすこと、冷たいものはなるべく控えつつ
気を元気にしていきましょ
内に湿をためこみませんよう
日々心強く、身体も大切にくださいませ
初夏からはじまる夏時間を
あなたの「なまえ香」と共に。
季節限定・夏の香袋
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