私が、歌舞伎の演目で何が一番好きかと尋ねられたら、迷わず挙げる演目があります。

それが、双蝶々曲輪日記の中から、「引窓」です。

 

そう、声を大にして言いましょう。

一番好きな歌舞伎の演目は「引窓」じゃーープンプンムンッ

地味ですかね。

ちなみに、3月の歌舞伎座、幸四郎さん弥十郎さんの引窓は見に行けませんでした。今月は落語重視でもにょもにょ。

 

この演目が私のもっともお気に入りになった理由。

その時の役者さんの掛け合う台詞の一つ一つがあまりに素晴らしくて忘れられないから!与兵衛の吉右衛門さんと濡髪長五郎の富十郎さんのハリのある声と見事な言葉と感情のキャッチボールが、23年も経った今でも耳の奥に残っているのです!!

 

私が見た、あの素晴らしい引窓はいつ見に行ったんだったかずっと気になっておりました。

そして重い腰を持ち上げ、今日やっと古い古い歌舞伎座の筋書きと昔の雑誌演劇界の引越しの際に荷紐で括られていたものを解き、探し出しました。数年分の筋書きの中から開いた2冊目で、案外あっさり見つかったけど爆  笑その舞台写真と劇評が乗っている翌月の演劇界まで見つけたよ。

 

 

平成6年9月歌舞伎座 中村会九月大歌舞伎 数字見ただけで大昔に感じるなぁ、おい。

中村会とは、当時の永山会長の挨拶文によりますと…。

三代目中村歌右衛門の百回忌に、その流れを汲む俳優が集まり五代目歌右衛門が中心となり行われた追善興行が始まりで、五代目歌右衛門没後は初代吉右衛門が受け継いだ、中村家の芸を伝える場なんだそうです。

歌舞伎座九月といえば、近年は秀山祭と銘打って現在の吉右衛門さんが初代吉右衛門の芸を伝える場となっているのは、こういう流れがあったのですね、フムフム。

 

 

当時の筋書きです。

お早は、まだ松江さんだった頃の魁春さん。富十郎さんは亡くなるずーっと前で心身とも充実しきっていた時代です。

二代目中村吉之丞襲名披露と出ており、初代吉右衛門の門弟だった女形の万之丞さんが播磨屋の大番頭の名前を襲名された時ですなぁ。

 

何がこんなに好きかって

冒頭の何気ないシーンからして大好きだ。

中秋の名月を明日に控え、お供え物をしてお月様に手を合わせる姿。

ベベベンと太棹三味線の低い音に太夫が語り、役者の台詞の無い情景描写だけの冒頭のこの場面の風情がたまらなく好きなのです。

 

主な登場人物は

  • 南与兵衛後に南方十次兵衛 お父さんの代までは郷代官だったが、父の死後放埒な生活をしてお役目を召し上げられた。いろいろあってしがない商人として真面目に暮らしていたので、再び庄屋代官支配を許され、夜回りを仰せつかった。殺人犯が逃げ込んだから捜査に協力するよう渡された似顔絵は“濡髪長五郎”
  • 女房 お早 与兵衛と駆け落ちしてきた恋女房で、元は大阪新町の廓の遊女で、長五郎とはその頃の顔見知り。ときおり、廓言葉が出てしまう。
  • 母 お幸 与兵衛の父の十次兵衛の後妻。与兵衛の継母。
  • 濡髪長五郎 お幸の実子で、お幸が十次兵衛の後妻に入る前に養子に出された。訳あって殺人犯したお尋ね者で、捕まる前にお母さんに顔を見せようとやってきた。

この4人だけによる4人芝居。

この4人それぞれが、全方位に向かって気遣いと思いやりと情愛に満ちていて、登場人物全員がこんなに愛しく感じる話も、なかなかお目にかかれません。

大好きな台詞もいっぱい。

 

与兵衛  「母者ひと。あなた、なぜものをお隠しなされまする。私は貴方の子でござりまするぞ。二十年以前大坂でご実子を養子に遣わされたと聞きましたが、そのご子息は今に堅固でござりまするか。」

似顔絵のおたずね者が自宅の二階に隠れているのを発見し掴まえようとしたところ、必死に似顔絵を自分に売ってくれとすがりつく継母の様子を見て、お幸と長五郎の親子関係に気づいた時の言葉。

血が繋がっていなくたって貴方は母で私は息子なのに、隠し事をされるとは淋しい話だという気持ち…だと思う。

 

お幸  「未来は奈落に沈むとも、今の思いに代えられぬわいな」

殺人を犯したと聞かされたとしても、それほどまでに息子を助けたい強い思い。

必死で必死で言って号泣する場面。

 

お早  「もし、与兵衛さん。さぞ憎いやつとお叱りもあろうが、せめてもお力にと共々に隠しましたが、常々からして物事を包むと思うて下さんすな」

あまりにお義母さんが気の毒で今回は一緒に隠し事をしましたが、いつも隠し事をしているとは決して思わないでください。与兵衛も「分かってるから」と優しい顔で応える場面。この話で大好きな台詞。松江さんも芝雀さんもどちらも素敵だった。

 

長五郎  「母者人。お前の手で縄をかけ、与兵衛殿にお渡しなされて下さりませ。

この書付もホクロを消されたお情けも骨身にこたえ、肝に通り、あまりに過分、ありがたさ。我が子が可愛いと義理も恩もわきまえず、助けたい助けたいと母者人のお慈悲。所詮はお心安めと元服までは致したなれど、四人までも殺した下手人。助かる術はござりませぬわい。生半なものの手に掛ろうより、形見と思うて母者人、泣かずとも縄を掛け、与兵衛殿に手渡しして、よぉぉおお礼を言うてくだされや。そうのうては、あの世へこざる十次兵衛殿へ、お前は義理が立ちますまいぞ」

人相書きを売り渡し、逃げ道を教え、路銀を用意し、顔の特徴の大きなホクロまで削り取ってくれた与兵衛の親切をなぜ受けないのか。

一度は母の熱い思いに答えて、前髪を剃り落とし姿を変えて逃げると見せかけたのは、逃げてくれと嘆く母の気持ちを鎮めるため。もともと与兵衛に捕まえてもらうつもりでいた長五郎が母を諌め、なだめ、説得する言葉。

この言葉で、お幸は長五郎を自分の手で掴まえて与兵衛に引き渡す決心をするんだな。

ヨボヨボのおばあさんが、引窓の開閉に天井から下がる細縄で、泣く泣く後ろ手の息子を縛る様子は義太夫の盛り上がりと相まって、悲しい悲しい場面。

 

そしてラストシーン

 

与兵衛  「あ。南無三。夜が明けた。身共が役目は夜のうちばかり。明ければすなわち放生会。恩に着ずとも、勝手に行きゃれ」

鉦の音

長五郎  「あれは九つ」

与兵衛  「いや、明六つ」

長五郎  「残る三つは」

与兵衛  「母への進上」

長五郎  「重なるご恩は」

与兵衛  「それは言わずに、さらばだ、さらばだ」

 

二十数年経た今でも私の耳の奥に残っているお二人の掛け合いです。

 

 

もう一度貼っちゃお。

やはり好きです、この話。

与兵衛と長五郎だけでなく、お早の機転の聞いた利発さと積極性、お幸の必死な行動力。

全員が対等に重要な役割を果たしている感じで、脇役がいない。

 

それから。

あまりに素晴らしい俳優さんの舞台を見ることができたのだと年月を経て気づく。

 

そういうものなのかもしれませんね。

こんど機会があったら、ちゃんと文楽を見てみよう。