結婚や自分の生き方についても真剣に考えた。


このまま結婚して、子どもが出来て、孫が出来て、そして、その後は?


家族に対しての責任をもてるか?

養っていけるか?

大切に出来るか?


思い通りにならない子孫、そこに人生をかけてどこかで失意にくれる。

そんな親族や周りを見てきた。

(そう言う話をよく聞かされた。周りの相談を受けることが多かったのです。)


子どもや家族は大好きだった。

それゆえに余計考えてしまった。

自分の人生って何だっけ?


遮二無二働いて、必死になって、そしてせいぜい年数千万。

その対価は?

家庭は置いてけぼり、それで子どもから愛されるか?

それでも家族を大切に出来るか?


別の働き方、稼ぎ方も知っている。

勉強もした。


それこそ、もっと楽に、お金を手に入れようと思えば簡単に手に入る道もまた別にあった。

でも、それで?良いのか?俺は?

自問自答していた。

(お金の大切さは身をもって知っています。悪しからず。)


当時の彼女、家庭を安心して任せられるような女性か?

共働きで、両立出来るか?

金、地位、名誉、会社名、家柄、見た目。

周りばかり、ブランド品か?

結婚がゴールなのか?

いつからそうなった?

俺に点数つけて、満足か?


会社の上司は無責任にさっさと結婚しろよと言う。

遊んどけよとも。。


なあ、心は?

人間、いないのかな。


もちろん、いつもいつもこんなこと考えていたわけではない。


「まあ、いいか。笑」

「何とかなるかあ!」

「どーせやるなら!」

そんな言葉が口癖の自分だった。



でも、東京に来て、都会の寂しさを痛感した。

子どもの頃も、時折遊びに来ていた。


親戚に連れられて、ワクワクしながら初めて空港から出て、外に出た時の第一声を覚えている。


空気わるー。うえっ。


でも、見たことのない景色にワクワクした。都会には都会の楽しみがあった。



大学生になって、本格的に東京に来た。

ティッシュ配りのお兄さんに、受け取らなくてごめんね。

と頭を下げないで素通りしていく人たちを見る。


つめてーな。


エレベーターで開くを押してくれているのに、お礼も言わない人たち。


何でだ?


押しのけて我先にと電車に駆け込む。


いや、分かるけどさ、周りの人、痛そうじゃない。。



次第にそんな都会に慣れてしまっていく自分。

歩くスピードもすっかり変わってしまった。せかせか、せかせかと。


今までの自分がどこかに消える。

人は?心は?

何なのここは?

奥底の叫びなんて聞こえなくなっていた。

とっても普通にしてた。



時折思い出す感覚。

アスファルトばかりだ。。

土、踏みてーな。



酒呑んで騒いで、女、女ってさあ。なあ、女性は道具なんか?

ヤリたい。それがすべてか?


……そうしなきゃいけないのか?

俺がおかしいのか?


浮気してないの?遠距離でしょ?

って言われた。

人によっては、お相手にはされてると思うよ?

だって。


いやー、、した方が自分としては辛いんだよね。。

べつに聖人君子決め込むつもりではないけれど、出来るだけ誠実でいたいじゃない。。

俺がおかしいのかなあ?



虚しいな、ああ、哀しいな。

お前らそんな奴だったっけか?

久しぶりに会う友達のかわりようも寂しかった。



都会はビルばっかり。

海、見てーな。



あーあ、狭い。



息が詰まる。



それでも私は都会で輝いた。

成績優秀賞、金ピカの盾。

ニコニコした親の顔。

嬉しそうな祖父母。

満足気な友達、彼女。


楽しかったなあ。

楽しかった。勉強も好きだった。

心からそう思う。

でも、やっぱりどこかで心はいつも泣いてたんだよ。

苦しかった。寂しかった。

格好つけることも嫌いじゃなかった。

会社でだって、それなりだったさ。


でも、そういうことばかりに重きをおく生活に疲れてしまっていたのだろう。



師匠のことは親伝いに聞いた。

当時は親族の関係でもいろんなことが立て続けに起こっていた。

そのゴタゴタ関係で、お友達経由でこういう人と縁が出来たのよという話だった。



師匠が、どんなことをやっているか、どんな内容なのか見せてもらえた。

とても嘘や作り話には思えない内容がそこにあった。


これ、、だ?


そんな感覚。漠然と。

同時に安堵した。

何だかよくわからないこともあったが、いくばくかその方のおかげで安心している親の顔を見て安堵した。

当時、どんどんやつれていく親を見てはいられなかった。



悩んでいる自覚なんて自分でもなかった。

たぶん、今まで私に関わってきた誰に聞いても、今ここに書いたこういう内容、嘘つけよお前。笑

と言われると思う。


社会のこと、人のこと、家族のこと、周りのこと、守りたかった。

人のためになることは好きだった。

助けたかった。

必死だった。



妹はいわゆる霊媒体質。

当時はそんなこと知る由もないが。

予兆はあった。大学生になって一人暮らしになって、余計に拍車がかかった。

一体どうした?

まともじゃない。そんなことがたくさんあった。

よく相談された。親からも。

どうにもならなかった。せめても他人には迷惑はかけなかったのがすくいだ。



弟も親ともめていた。

結婚や新しいステップで双方の軋轢は広がっていくばかりだった。どちらの言い分も正しかった。

でも、どちらもひどく子どもに思えた。

ない時間を割いてよく仲裁に入った。


兄はある程度で無頓着。結婚なんて事後報告みたいなもんだろって。優しい兄ではあった。でも、高い所から遠くを見るように冷静に家族を見てた。

義務は果たすよ。

そんな一言が哀しかった。



どこからどう見てもピカピカの家族だったと思う。

一体いつからこうなった?

一体いつからこんなことに?あの時のように仲良くいようよ。

なあ、皆どうしたの?



すべて、何とかしようとした。

何とかしたかった。


会社のこと、社会のこと、友達のこと、家族のこと、人のこと、誰かのこと、どうして皆哀しそうな顔して生きるんだ?

本当にそうやっていたいのか?



俺、どうしよう。

どうしたら助けられる?どうしたら良い?

俺も、もう限界かも。。



なんとなく、薦められるままに師匠の所の門を叩いた。

と言っても、荘厳な神社仏閣というわけではない。



最寄りまで、出迎えてくれるとのこと、緊張した。


続く。