我がせがれも無時小学校1年生を終了し春休みに入りました。
さて、やはり最近はもっぱら今年1月21日に多摩川での西部邁さんの自裁のことが頭から離れません。
たとえ1万人対一人でも自分の意見を述べようと挑戦される勇気ある言論人の一人が、いなくなったのは残念。
私も京都の左京区のとある国立大学を出た身としては少数派にこそ本当の大事な意見はあると、常々思っています。
西部さんは安倍首相に遺言を残されていたようです。
「安倍首相よ、プラクティカリズム(実際主義)の空無を知られたし」
「首相に限らず現代人は、指導層であれ追随層であれ、おおむね実際主義を旨として、経済的利得や政治的権力や文化的栄誉に
ありつくべく、我欲丸出しで生きそして虚無のうちに死んでいるといってよいであろう。・・・世界はマルチポーラー(多極)の時代に
入っている。そのことに日本政府はどこまで自覚的なのであろうか。・・・・対米追従に徹しておればこの列島は何とか生き延びられる
であろうというプラクティカリズム(実際主義)の態度が現代日本人に骨がらみにとりついてしまったことの帰結なのであろう。」
我欲丸出しで生き虚無のうちに死んでいく・・・何のために生きているのか、生きていくのか、私も考えさせられます。
思うにこういう考えが信念として持っている人は強くて、刹那的でなくて、主体的で、そして人に愛されるのだと思います。
そういう所に人は集まる、と。いろいろな会社の社長さん、えらいさん、院長先生などを見てるとそういうことも考えさせられます。
院長なんてのも、まるで大したことはしてないんですが、一人のリーダーとしてはそういう信念、死生観て大事なんだなと思います。
私が院長になって一番不安だったのは、実は、来るべき人生の先輩である高齢の患者様に対して果たして自分は対峙できるだけの
知識(医学の知識以外のこと)、経験、懐の深さがあるだろうかということでした。
医学的知識なんて多分大したことないんだろうと思います(これは語弊があるか)。どこの大学出たってとりあえず医者にはなれる。
でも人生の先輩に対してどう向き合うかということに狙いを定めれば、少し行動が違ってくるかなと。
バランスの良さも大事かと思います。
これは今でもまだまだ発展途上であり、それだけにますます面白い部分でもあると思っています。
とにかく、アメリカくそくらえ、日本は日本のことを第一に考えやがれ、さっさとデフレを終わらせろ、てなもんです。
涙ながらに「3.11大地震を忘れない!」とか言いながら、道路は作らない、堤防も作らない、復興税はしっかり徴収するという冷たい国。
安倍首相に西部さんの言う信念はあるんでしょうか。