Dimash 《Dream TV》 インタビュー 2024.07.05

 

 

2024年5月24のイスタンブールでのコンサートの3日前に行われたインタビュー 第2弾

 

本編の公式ビデオ見つからないので 予告ビデオのみ貼る。

 

Dream TV インスタグラム ↓ 予告

 

👨:Hi, Dimash!

 

Dこんにちは!

 

👨:30歳のお誕生日にコンサートを開くそうですね。

 

Dそうです。

 

👨:どんなお気持ちですか?

 

Dすごくワクワクしています。

それと 緊張もしていますね。

僕がここに来ることができるようにして下さったトルコに感謝します。

とても嬉しく思っています。

明後日の…あぁ、明後日ではなくて 3日後ですね…ベストを尽くすつもりです。

ファンの応援と愛を受けていますから、素晴らしいコンサートにできるよう ベストを尽くさなければいけません。

 

👨:コンサートツアーはどうなっていますか?

 

D神様、アラーのお陰で上手く行っています。

それと ファンの皆さんのお陰で どこに行ってもコンサートチケットは完売となっていますから 感謝しています。

 

👨:トルコへは来たことはあるのですか?

 

Dはい、子供の頃からトルコへは何度も訪れていますよ。

初めてのトルコでのパフォーマンスは 17歳の時でした。

<GESI BAĞLARI> を歌いました。

何かのフェスティバルだったと思います…コンペティションではなかったです。

 

👨:コンサートの話に戻りましょう。

ハルク・レベント氏が あなたのコンサートでステージに上がるそうですが、それについて何かサプライズはありますか?

 

Dこの機会をお借りして、ハルク・レベント氏に感謝を申し上げたいと思います。

彼は トルコだけでなく 世界でも最もパワフルでビッグで 輝いていらっしゃるスターのお一人です。

このトルコで ハルク氏と一緒にステージに立てることは 本当に光栄なことだと思っています。

ハルク氏は 僕なんかよりもずっと経験を積んでいらっしゃいますし…もちろん僕がずっと若いからですけど…(今度のステージでは)とても面白いコラボをする予定です。

今僕が気にしている唯一のことはですね、(歌う予定の)トルコ語の発音です。

毎日朝から晩まで練習しています。

 

👨:トルコの曲でお気に入りの曲はありますか?

 

D<GESI BAĞLARI> ですね。

 

👨:それは伝統音楽の楽曲ですよね。

 

Dそうですね。

好きなトルコの曲は その他にも 本当にたくさんあります。

Mustafa Sandal さんの曲を聴いて育ちましたし。

 

Mustafa Sandalさんのインスタグラム ↓

 

👨:どの曲ですか?

 

D♪鼻歌♪

 

👨:そうですね。

 

D僕が3歳か4歳の時に、父の妹の結婚式のパーティーで 5分ごとにこの曲を流していたんですよ。

 

👨:あなたのコンサートの話に戻しましょう。

今回のコンサートで 他にもサプライズはありますか?

 

Dありますよ。

最初のサプライズは…僕のファンです。(ハハ)

たくさんの作曲家の方々が来て サポートをして下さいます。

多くの世界的なプロジェクトに関わって来られている 王宗贤(ネイサン・ワン)氏ですね。

 

王宗贤(ネイサン・ワン)氏 インスタグラム ↓

 

 

ジャッキーチェンさんの映画の音楽を担当されています。

1~2度、ジャッキーチェンさんの映画でお仕事をご一緒しました。

数年前にOSTを書かれて、僕がそれを歌った時に 初めてお会いしてんです。

その数か月後に、ジャッキーチェンさんのチームから 新しい映画でも一緒にやって欲しいと 言われました。

それで 再度、ネイサンさんの作曲したメインテーマを歌うことになりました。

そして今度はネイサンさんから、僕のコンサートに応援参加したいと言われたのです。

それと、Renat Gaissin氏がゲスト出演されます。

彼は僕の国では非常に有名な作曲家で…

 

Renat Gaissin 氏のインスタグラム ↓

 

👨:あなたくらいに?

 

D彼は僕なんかよりも有名だと思いますよ(笑)

 

👨:Dimash、あなたの経歴を見ると あなたのお母様も・・・

D歌手ですよ。

 

👨:そうですね。ソプラノでいらっしゃる。

その点では あなたが注目を浴びるのは 難しいことではなかったんじゃないかと思うのですが、いつ頃から歌手になろうと思っていたのですか?

 

D僕が2歳くらいの時に、僕がステージと繋がっているような感じがした と母が言っていました。

その頃からステージが大好きだったと。

でも、その頃は 何がしたいかとか、どうなりたいかとかは全く分かってはいませんでしたけどね。

5歳の時には もっとはっきりと何がしたいか ということが分かっていました。

祖母には本当に感謝しています。

それは 僕が5歳の頃から 毎日 音楽学校に 僕を連れて通ってくれたからです。

その頃祖母は 足の具合が悪かったのですが、毎日毎日 僕を学校まで送ってくれました。

僕が祖母にこう言いました・・・

 

👨:いつ頃からプロの歌手になったのですか?

 

D5歳の頃からだと言えますね。

というのも、その時からプロの教育を受け始めたので。

アクトベの専門の音楽学校を卒業した後、別の音楽学校にも行き、15歳からはA.ズバノフ音楽学校で オペラの勉強をしました。

そこで4年間を過ごしてから、アスタナへ引っ越して カザフスタン国立芸術大学へ行きました。

 

👨:どのようにしてカザフスタンの歌手が 世界で有名になったのでしょうか?

 

D子供の頃から世界のいたるところで コンテスト…コンペティションなどで いろいろとパフォーマンスをして優勝してきました。

20歳の頃でしたが、Slavic Bazaarというコンペティションでグランプリを獲りました。

それを 中国のプロデューサーがご覧になっていて、《歌手207》というコンペティションの番組に招待して下さったんです。

その番組で ほんの少しですが(照れ笑い) 世界で知られるようになりました。

それで、ファンができまして、その方々が 世界中でファンクラブを自発的に作って

愛して 応援して下さったお陰で 少しだけ有名になることができました。

この番組の後、世界中で…ヨーロッパやアジア、ニューヨークで ソロコンサートを開くことできるようになりました。

その1年後にはアメリカのCBSというテレビ局のコンペティション番組でパフォーマンスをしました。

その後僕の名前が更にちょっとだけ広まりました。

今でもまだプロデューサーや音楽レーベルの会社を付けずに ずっとやって来ています。

ファンのみなさんのサポートでやっていっています。

ですから 今は音楽レーベルとの契約なしに やっています。

 

👨:有難うございます。

お仕事の成功をお祈りしています。

インタビューを受けて下さり、ありがとうございました。

 

Dありがとうございました。

 

 

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