《ストーリー》インタビュー2016.05.23

 

 

カザフスタン チャンネルセブン 公式YouTube ↓

 

0:44(Dの歌唱ビデオ)

1:12

(ナレーション)

彼はまだ21歳。

本日の特集は、その才能が 国内だけでなく 国外のリスナーにも非常に知られている人物。

その素晴らしい歌声は 終わることなく どこまでも続くカザフの草原のよう。

更に非常によく訓練されているパフォーマンスのスキル。

本日の 《ストーリー》の主役は、“金の声” という特別な才能を持つ

Dimash Qudaibergenです。

 

1:44

マヤ(インタビュアー):こんにちは!

 

Dこんにちは。

 

マヤ:来ていただいて ありがとう!

 

Dはい。では中に入りましょうか。

 

2:09(ナレーション)

Dimash は Ahmet Zhubanovアクトベ音楽学校を卒業後、現在は カザフスタン国立芸術大学のポップアート科で勉強しています。

そこで彼は プロ歌手になる為のクラスを受講し、日ごとにその歌唱スキルをアップさせているのです。

 

全ての教育の条件は、20年前に設立された 教育センターにより整えられています。

この教育施設の1,000名にも及ぶ卒業生たちは、国内外のコンペティションで様々な賞を受賞しているのです。

 

2:47(教室に入る)

Dカザフスタン共和国 名誉アーティストである 僕の先生は、多くの国際的なコンペティションで受賞していらっしゃいます。

先生は、僕の成功に直接的に関与をされているんですよ。

Mayra(マイラ) apa、ありがとうございます。

 

3:01(個人レッスンの様子)

 

3:07

Mayra Dauletbak(教授・カザフスタン文化労働者):

2011年の “Zhas Kanat” のコンペティションで、Dimashに初めて会いました。

私は当時のメンター兼審査員だったのです。

Dimashは その年の優勝者となりました。

 

その翌年、彼はアクトベ音楽学校を卒業し、カザフスタン国立芸術大学に入学してきたのです。

Dimashは非常に勤勉で、また 自分のパフォーマンスを披露する準備がいつでもできている ということを誇示していました。

その時私は、この子は特別な子だと思いましたね。

 

3:41 (<My Bearty> のビデオ)

3:49

マヤ:Dimash、私達がここ 国立芸術大学でインタビューをするのは意図的なのですよ。

ここは あなたにとっては2番目の家と言えるんじゃないかしら?

 

D勿論です。

ここは僕にとって特別な場所なんです。

技術を磨くこと、それを発展・形成させること、そして 成長することは、クリエイティブな人間にとっては普通にある願望です。

この素晴らしい大学の教育者の方々は、僕たちのそういう願いを叶えてくれ、もっと高いレベルに引き上げて下さるんです。

 

僕は 本当に幸せな人間だと思っています。

こんなに素晴らしい所で勉強させてもらえるチャンスが持てているのですから。

国立芸術大学の学生になれたことは、僕にとって最高に幸せなことなのです。

神様のご加護のもと、子供の頃から大好きだった歌手の Mayra Dauletbak先生の生徒になれたのですから。

 

それに、Aiman(アイマン) Kozhabekovna学長についてお話しさせてください。

学長は、数々の世界的なアリーナで演奏され、我が国に栄光をもたらされた方です。

これまでの僕の成功は全て、僕の先生方や学長のお陰なのです。

ここで学ぶことが 僕の夢だったのです。

 

5:11(ビデオいろいろ)

5:24(ナレーション)

今では ほとんどの人がDimash Qudaibergenという若い歌手のことを知っています。

それは、Dimashが一日にして 彼自身だけでなく、彼の祖国にも尊厳をもたらしたからなのです。

 

5:29(2015年 ビテブスクでの “Slavic Bazaar” のビデオ)

 

司会:カザフスタン代表 Dimash Qudaibergenが歌います!

 

(ナレーション)

2015年、ベラルーシのビテブスクでのポップミュージックのコンテスト “Slavic Bazaar” には世界40か国から出場者が集まりました。

このコンペティションは世界中で視聴され、カザフスタンのスターは輝きを放ちました。

Dimash Qudaibergenは、このコンペティションでグランプリを獲得し、その広い声域で耳の肥えた聴衆を驚かせたのです。

 

6:31(“Slavic Bazaar” のビデオ)

司会:では、Dimashの得点です。

10・10・10・10・8・10・9・10・9…86点です!

カザフスタン代表の Dimash Qudaibergenの2日間の合計は175点でした!

 

6:46

マヤ:“Slavic Bazaar” はどのような計画を立てて参加をしたのでしょう?

 

D5年前の17歳の時に、夢を叶えるために アスタナに初めてやって来ました。

そして“Zhas Kanat” のコンペティションに出場しました。

この大会に優勝して、そこから国際的なコンペティションに出場するようになりました。

そこでも優勝することができました。

 

そこからは、国際的なコンペティションのゲストとしてお招きいただけるようになったのです。

その内の一つが、“Shabyt” 国際フェスティバルでした。

そのフェスティバルは、毎年僕を招待して下さっています。

 

そのガラコンサートで僕がパフォーマンスをした日には、Karlygash Abdikarmkyzyさんも会場にいらっしゃいました。

彼女は当時の “Slavic Bazaar” のカザフスタンの審査員でした。

それ以前は、このコンペティションに参加しないか と言う申し出も頂いていましたが、その時の僕には そういう計画はありませんでした。

 

というのも、ご存じの通り“Slavic Bazaar” という大会は 非常に大きな大会ですから、それに出場するということは、大変な責任を負うということです。

当時はまだ若すぎて、充分な準備(経験)ができていないと思っていました。

ですから、まだ出場の計画は立てていなかったのです。

でも、“Shabyt” のフェスティバルに参加した時、Karlygash apaから「今年は “Slavic Bazaar” に参加しない?」とお誘いをいただきました。

 

8:30(“Slavic Bazaar” 時のビデオ)

マヤ:コンペティションから帰った後のインタビューでは、あなたにはストレスに対する抗体があったから優勝することができた と言っていますが、それはどういうことでしょうか?

 

Dコンペティションに出場することは、一つだけでも 精神的な面でも とても大変なことなんです。

国際的な大会でなくても、カザフスタン国内の大会…“カザフスタンの声(ボイス オブ カザフスタン)”や“Zhas Kanat” のような大会でも、誰しも緊張するものです。

僕も そのようなコンペティションに参加して、優勝してきましたから分かるんです。

ですから、正直に言って、若くて経験の少ない僕のような歌手は、もっと努力しないといけないんです。

 

9:38(大会ビデオ)

(ナレーション)

この(“Slavic Bazaar”)コンペティションで、Dimashはカザフ民謡の <Daididau> を歌い、輝きました。

曲のクライマックスを迎えると、Dimashの心から放つ声は、数百万人の心に魔法をかけたのです。

彼はステージで 心を込めてパフォーマンスをし、それがまた観客を魅了したのです。

 

プロとしても非常に高いレベルを持っていることを知らしめましたが、それは驚くことではありません。

それと言うのも、彼は カザフスタンの名誉アーティストであるKanatとSveta Aitbaevの間に生まれた 最初の子だったからです。

KanatとSveta夫妻は、20年以上も 手を取り合いながら クリエイティブな活動を続けています。

いまだにこの音楽業界で、素晴らしい夫婦として活躍しています。

 

彼の才能は、父の血と 母の母乳から受け継がれたものに違いありません。

つまり、Dimashがコンペティションで優勝したのは、このようなクリエイティブな家庭があったからだ とも言えるでしょう。

 

10:55(ナレーション)

ご両親に加え、Dimashのおじい様、おばあ様も彼の素晴らしい個性を伸ばすことに多大な影響を与えています。

御祖父母様たちは、彼らの初孫の世話を引き受けました。

彼らはDimashが このコンペティションで優勝することを信じていました。

 

Dアクトベの家で、ある朝目覚めたら、僕の母が…実際は祖母なのですが、僕は母と呼んでいます…その母がお祈りを捧げていました。

(祖母)は、自分の息子(孫)がコンペティションで優勝することを 毎日神様にお祈りしてくれていたんです。

息子が人々に愛されるように、人々を失望させないように と。

母はいつも僕のことを心配してくれています。

 

ある朝、母はとてもいいムードで起きてきたのを覚えています。

「とてもいい夢をみたのよ。お前が優勝する夢をね。これは予言の夢だわ。」と言ったのです。

でも僕は 母に申し訳ないと感じていました。

母は年長者なのに、まるで自分がコンペティションに出場するみたいに緊張していたからです。

 

コンペティションに優勝した後、アスタナに戻ったら、たくさん取材の仕事があって、それを終えてやっとアクトベの家に帰りました。

家に帰るとすぐに、涙を浮かべた母(祖母)が 僕のところに駆け寄って来ました。

 

12:48(当時の写真)

母の喜びようと言ったら 際限がありませんでしたね(笑)

ですから、僕のやってきた仕事、受賞は全て僕の両親のお陰なのです。

僕がやっていることは全て 彼らに喜んでもらう為。

一生懸命にね。

 

(ナレーション)

Dimashには 道徳的基準を高く持つクリエイティブな家族がいるので、彼自身がクリエイティブな道を選んだことは 驚きではありません。

彼は幼い頃からステージに馴染んでいた為、リスナーに愛されることがどれほど素晴らしいことかを知っているのです。

 

13:25

マヤ:子供の頃の面白い思い出はありますか?

 

D僕の幼少期は、他の子達とは全く違うと言えるかもしれません。

というのも、僕は 物心ついたころからもうステージに立っていたので。

 

初めてステージにたったのは、2歳の頃だったんです。

アクトベで大きな会議があったんですが、そこで ミュージックショーを開催することになったんです。

そこで僕は Tシャツを着て 手にはカマズ(ロシアのカマズ社のトラック)のおもちゃを持ったまま 女の子と一緒にステージに上がったのです。

 

そうやってステージに立ちました。

その瞬間から、僕の中で “観客に愛されたい” という熱い思いが生まれたんです。

ステージに上がると、拍手喝さいを浴びて、舞台袖に戻るのも忘れるくらいでしたね。

 

僕は観客を見渡し、そしてみなさんと交流し始めたんです。

観客の皆さんは笑い出し、僕が舌をペロッと出すと 拍手してくれました。

それでまた他のことをやりました。

みなさん笑っていました。だって2歳の子供がステージで 猿回しみたいなことを見せているんですからね(笑)

 

みなさんが笑えば笑う程、僕はまたやるんです。

誰も僕をステージから降ろすことができませんでしたよ(笑)

 

15:26(ナレーション)

Dimashは、他の子のように内気で臆病な子ではありませんでした。

小さな頃から 既に彼は “歌手になる” という気持ちが芽生え始めていたのです。

ピアノを学び、ボーカルトレーイングをしながら、2012年には “Zhas Kanat(若い翼)”という新人歌手のコンペティションでグランプリを受賞しています。

“Meikin Asia” 国際フェスティバルで優勝した後、“East Bazaar” 国際大会でも受賞しています。

 

マヤ:ヨーロッパツアーから帰国したばかりですよね。

それについて話してください。

 

Dヨーロッパでのコンサートは とてもレベルの高いものでした。

会場は満席でした。

カザフスタン国立芸術大学の先生と学生は、そこでパフォーマンスを披露したんです。

ちょっと自慢なのですが、そこに僕もいたんですよ。

Aiman Kozhabekovna学長はいつでも会場にいらっしゃいましたね。

僕にとっては特別に嬉しい時間でした。

 

公演の最初はスロベニアでした。

リハーサルの後、コンサートホールの職員の方が 僕のところにやって来られて、“Slavic Bazaar” で僕を見た と英語で言って下さいました。

「あの、君、“Slavic Bazaar” の優勝者じゃない?」と。

(驚きで)気を失いそうになりましたよ。

国外の人が僕を知っているなんて ウソでしょ? って。

4~5秒ほど マイケル・ジャクソンになったのかと思いましたよ(笑)

すごく嬉しかったですね。

 

次にオーストリアに行ったのですが、そこでも僕のことを知っている人達に出会いました。

そこではたくさんの祝福を頂きました。

セルビアでもそうでした。

正直、そういうことが僕には本当に嬉しかったんです。

 

人々に自分のことを知ってもらえている という喜びだけでなく、みなさんが “Slavic Bazaar” を見て、カザフ民謡を聴いてくれた ということが 何より嬉しかったんです。

オーストリアでも、ウィーンでも、セルビアでも、カザフの歌をパフォーマンスした後は、特別で 素晴らしい気持ちになりましたね。

 

マヤ:Dimash、プロデューサーはついているんですか?

 

D僕にはプロデューサーはいません。

今後もつけるつもりはありません。今のところは。

もしそういう人たちが「これを歌え」とか「この衣装を着なさい」とか「こういう風に動いて」と言えば、自分の意に反してそうするでしょう。

 

でも僕は、自分の心の想うままにしかやりません。

正直に言うと、そういう いろいろと指示をしようとする人に 反感を持ったこともあります。

えっと…言うなりにはなりたくないんです。

そういうわけで、僕はプロデューサーとは仕事をしないんです。

でも(プロデュースしたいという)オファーはたくさん来ていますけどね。

 

今では 多くの方々が様々な形で ポップスのステージや国際レベルのステージで、僕や僕の祖国を紹介しようとして下さっています。

まず 応援、道徳的なサポートをしてくれるのは 僕の両親、先生方や学長、そして芸術分野においての多くの先輩方です。

 

19:41(ナレーション)

プロ歌手の道を選んだDimashには、私生活にもプランがあるのです。

小さな頃からずっと見てきた父と母は、実生活だけでなく、ステージ活動においても 切り離すことができない存在となっています。

その為、Dimashも将来の妻には、このクリエイティブな仕事についての理解と尊重を求めているのです。

 

マヤ:Dimash、あなたの心を奪った女性はいるのですか?

 

Dもちろん、男として 自分の夢を理解してくれる女性が傍にいることは良いことだと思いますし、それはとても幸せなことです。

もし自分の生涯の伴侶との嗜好が全部一致していたなら、これほど幸せなことはないでしょう。

 

でも…えっと…私生活については話したくはないんです。

それでもよく夢として「(生涯の伴侶は)どんな人なんだろうね?」と聞かれますよ。

(僕の伴侶になる人は)まずは 優しくないと。

穏やかで、カザフで育った娘(ニヤけるD)…シンプルでオープン、そして僕の両親を尊敬すること。

 

何もつまずくことなく長く音楽を創り続けることができるかどうかは、僕が選んだ女性次第ですね。

もし彼女が僕を理解してくれて、僕たちの子どもをキチンと育ててくれ、僕の両親を喜ばせてくれるなら…そういう人に巡り合えたなら、僕はなんの心配もせずに 自分のクリエイティブな仕事を続けることができると思います。

 

マヤ:率直に聞きます。芸術家たちは、家庭を作るのに時間をかけるようですが、それについては どう思われますか?

 

Dそれで言うと、僕の両親の話をしたいと思います。

両親はどちらも歌手ですので、そういう生活がどうであるかを 良く知っています。

ルクパン aga の奥様…アイガン apaはご存じでしょう?

アイガンaga は歌手ではありませんが、ずっとルクパンagaをサポートしていらっしゃいます。

 

ルクパンaga のクリエイティブなものは全て 彼女の力で成り立っているのです。

アイガンapa は家を整然と保ち、家族の精神的な価値を守っていらっしゃいます。

ですから、ルクパンagaや、彼らの子供達であるボラットとファリダは、何も憂慮することなく クリエイティブな仕事を心置きなくすることができるのです。

ツアーだって 大丈夫なんです。

 

ルクパンaga がパフォーマンスをする日は、アイガンapa はその主催者との折衝もされるんです。

ルクパン家は、僕の家族とは本当に親しい関係なんです。

アイガンapa は最もいい例だと言えますね。

芸術を理解してくれる伴侶に巡り合えることは、その芸術を最大限に活かすことができるものだと思います。

 

22:57(ナレーション)

“Slavic Bazaar” は、Dimashにとって最後のコンペティションではありません。

彼はまた ユーロビジョンにも挑戦したいと思っています。

今はその準備に余念がありません。

 

マヤ:今のあなたの最大の目標は何ですか?

 

D一生懸命 頑張らなければいけません。

もし ユーロビジョンに出場することになれば、そこから帰った後は仕事が止まないでしょう。

コンペティションの後には、世界中でソロコンサートをする必要も出てきます。

 

それはまさに、カザフ民謡が世界中で聴かれるようになる時だと思っていますから。

想像してみてください。

僕がユーロビジョンに出場して、カザフ語で カザフ民謡を カザフの方式で歌って優勝したら…僕の歌が世界に知れ渡ったら…本当に素晴らしいことですよね。

 

なので、僕は今2つ目の夢に向かって動いています。

それが今の僕の主なミッションです。

5年後にどうなっているのか、“神のみぞ知る” です。

そしてこれが神様の意思であるならば、5年後には 世界中でソロコンサートをやっていると思います。

 

24:32(ナレーション)

はっきりとした目標、美しい夢…これがDimash Qudaibergenの将来の夢。

最大の目標は新たな 大規模なコンペティションへの準備。

カザフの芸術を世界中に魅せるチャンスを掴むこと。

そしてDimashは、その栄光により 祖国の文化を代表することができるでしょう。

彼にはそれを叶える全ての要素を持っているのだから。

生まれながらの才能、両親からの広い教育とそのスキルを。

 

24:56(ピアノ&歌D