Dimash の帰省時の秘話あり:ご家族が出演 “My Good People”

Jibek Joly TV 公式YouTube ↓ 2023.10.23

 

お父様のKanat氏、お母様のSvetaさん、弟のMansur君が出演

 

  Dimashの家族関係は表示をアルファベットのまま(カタカナで発音表記するのは控える…特にSvetaさんは発音がいろいろあるので)

※全編 翻訳したかったが カザフ語はムリなので、出ている英語のものからの翻訳となる為 基本的にDimashに直接まつわるエピソードの部分のみ

 

1:43(Dimash父 Kanat氏、母Svetaさん 歌いながら登場)

 ※ お父様はいつもシンプルなスーツでパフォーマンスもされる。派手な衣装を見たことがない

 

7:13

K:(皆さんへのご挨拶の後、 この番組のテーマである)家族の価値は我々の財産です。父から子供達へ引き継いでゆくべき伝統文化です。

父親や母親達から受け継いだ指標は、非常に大切なテーマであります。

これは引き継いでいかなければならないものだと思っております。

ですから 国の価値というものは 何よりも大切で、年長者でも若者に対してでも世代に関わらず 尊重(尊敬)することは 何においても大切なのです。

我々は、このような文化を 育っていく若者たちに伝えていかなければいけないと思っています。

個人的には、このような指標を古い世代により継承していくことができれば、全てが良い方向へ行くと思うのです。

 

👨:カザフ人は、“年長者を敬う” 、“おもてなし”、“古代からの伝統や習慣を保持する” ということで知られていますが、Dimashのお陰で 世界中にそのようなカザフスタンという国を知ってもらえるようになりました。

彼のステージでの行いや インタビュー、パフォーマンスでのマナー、謙虚さを通して世界が それ を知るようになりました。

Dimashがカザフスタンを代表している様子を 我々は見てきました。

どのようにして Dimashのような息子さんを育てることができたのでしょう?

多くの親たちが自分の子供には有名になって欲しい、チャンピオンや歌手になって欲しいと願っていますけれど。

 

K:あなたのご家族も有名ですよね。

お子様達は年長者を敬うように育っている。

我々もそれを見て 知っていますよ。

私達は同居家族として 両親に育てられました。

子供達は 祖父母と一緒に暮らすことで  カザフの知恵、神話や伝説、諺や言い伝えなどを覚えていきます。

Svetaも彼女の祖父母に育てられました。

私達は彼女のそういうところを愛しているのです。

祖父母から 彼女はカザフの風習を学んだのです。

そういうわけで 私達家族は同じ道を歩んできており、伝統と文化を基に育ってきたのです。

 

※ オラル・バイゼンギロフ氏(ご友人のよう)による Kanat & Sveta カップルの結婚秘話。

 大意(Caravan.kzより):

caravan.kzの記事   

Kanat & Sveta の出会いは1990年初期。

バイゼンギロフ氏主催の  “Test of Girls” という学生のミスコンでのこと。

バイゼンギロフ氏は ステージの準備をしている時に、観客の中にいたKanat氏が  Svetaさんのことを “首が折れるんじゃないか?” と思う程に見つめていた…と冗談交じりに語る。

 

Kanat氏による 当時の回想

 「在学中は 私は活発な学生でしてね。

“Test of Girls” の審査員として呼ばれました。他の審査員はみなさん著名な教師の方々でした。美しい出場者たちはみな 自分達の才能を魅せていましたね。

そのコンテストで 我々審査員はSvetaを準優勝にしました。

その約2週間後、当時はまだインターネットもありませんでしたから、みんなテレビを見ていましてね。

当時借りていたアパートで友人4人と食事をしながら、地方局のテレビを見ていたんですけれど、“優勝は、Sveta Tolemisova(お母さまの旧姓?)!” と言っているのを聞きました。

彼女は地区の“Test of Girls” コンテストにも出場していたんです。

私はそれを見て “この娘と結婚するんだ!” と言ったんですよね。

在学中、私はアクトベのローカルテレビ局でアルバイトをしていたのですが、私は彼女を番組収録に呼びました…そうやって彼女と出会ったというわけです。

何故そうしたかは分かりませんが、最初のデートはレーニン像の前でした。

そこに彼女を呼んだんですよね。

 

20:40~ 若き日のKanat & Sveta の歌唱ビデオ…ステージ衣装のお父様を発見

 

25:11(DimashのMV “Akkuym / My Swan“ が流れる)

 

47:45(ゲストのお話しの最中 鼻歌を歌っているMansur君…お兄ちゃんと同じクセ:いつも頭には音楽がある…)

 

51:00(お母様の歌)

59:30(ご両親の歌)

 

1:03:04

男性(詩人/ジャーナリスト):Dimashを通して 世界中に “カザフの家庭” と言うものを紹介していることになっているのですよね。

Dimashのアスタナのコンサート(2017年)の後、ニュージーランドから来たファンのレイさんが我々を訪ねてくれました。

彼女は癌を患っていらっしゃった方でした。

(レイさんのお話しを語る)

「起き上がることさえ困難でしたので、もう長くはないと思っていました。

それで 終活を始めていたのです。

その時 偶然にDimashの歌が聞こえてきました。

まるで神様からの声を聞いているようでした。

その時 “Dimashのコンサートに行きたい” という大きな夢が 私の心の中に芽生えたのです。

それから毎日、四六時中Dimashの歌を聴き始めました。

そして水泳を始め 動くこと、歩くことを始めたのです。

Dimashが私を “生きよう” と思わせたのです。

そうすると 徐々に病気も回復し始めたのです。

“Dimashが母国でコンサートを開催するのに、行かない手はないわよね?

夢には限りがないでしょ?”」とレイさんは言いました。

彼女がアスタナにやって来た時、彼女のストーリーを聞いたKanatとSvetaは  レイさんを家に招待しました。

「うちへ行きましょう! Dimashが生まれた家、土地をご覧ください。

私達の郷土料理を堪能してください」と。

そして我々はレイさんを家へお連れしたのです。

家では 食卓を囲み お互いの話をしました。

オラル(バイゼンギロフ氏)が彼女と私の間に座っていました。

レイさんはあらゆる我々の習慣に興味を持っていましたね。

子供を含めた全員が お互いを助け合う。

そういうことがなければ 人と人の間の関係は成り立たないのです。

 

👩:Mansurがお水を注いでいたんじゃないですか?

男性:それは Mansurじゃなくて Dimashですよ!

👩:おぉぉ!すごいですね!

男性:Dimashが肩にタオルを掛けて (手を洗う為の)水の入った器と洗面器を持って部屋に入って来た時、彼女は(驚きで)失神しそうになっていましたよ。

 

 ※ カザフでは、お客様が家に訪問された際、食事の前に その家の若い者が 手を洗う水と器、タオルを持ってくる習慣があるそう

 

男性:レイさんにしてみれば、Dimashは神のような存在だと思っていらっしゃるようですが、私達にとっては 彼は “子供” なんです。

世界でどんなに有名になったとはいえ、彼は我々にとって ずっと成長を見守って来た “子供” なんですよね。

そしてDimashはゆっくり我々の手に水をかけていきました。

年長者の一人がDimashに茹でた羊の耳を差し出すと、彼はすぐにそれを食べました。

レイさんが「何をしているの?どうして?」と尋ねたので、私は彼女に「そういう習慣があるのです」と応えました。

 

 ※ お客様や年長者に(羊の)頭の部分を削いで差し出し、子供達には(羊の)耳を与えて、“(人の話を)良く聞きますように” と願う風習があるらしい

 

男性:それを聞いたレイさんは また驚いていましたね。

ちょうど ラマダンのオラザの(食事制限)期間でしたので、我々の嫁たちは皆 スカーフを巻き 食事を乗せたトレーを持ってお辞儀をしていました。

そしてまた レイさんは、3世代が同居していることにも驚いていました。

ですから私は「神様のご加護によりDimashが結婚して 子供ができたら、4世代が一緒に住むことになりますよ。これが我々の伝統ですから」と説明しました。

そしてこれが、通訳を通してのレイさんの言葉です。

「あなたたちには素晴らしい文化、習慣がありますね!

私達ニュージーランドにもこんな習慣はあったと思いますが、残念ながら 今ではそれも失われてしまいました。

自分の子供達とですらうまくコミュニケーションが取れていません。

あなたたちは 本当に素晴らしい伝統を残しているのですね!」

 

1:10:28~ 世界のDearsの声

 

1:16:57(お母さまの歌)

 ※ 1:18:52 のところで DK Media World編集の “ミッションDaididau” でインタビューを受けたSadzhana Murzaliyevaさんが演奏されているのが映る!

 

  “ミッションDaididau” (DJFC版)は ↓

 

 

1:22:33

👩:では、Dimashの子供の頃の初期のパフォーマンスを見てみましょう!

スクリーンをご覧ください。

(ミニDのテレビ出演時のビデオ~)

(それまで結構淡々とした表情だったが 真剣に見入るMansur君)

 

👩:世に出る前のDimashは、アクトベでこのようにパフォーマンスをして成長してきたんですね。

本日は Dimashの弟さんのMansur君も ここに来てくれています。

“世界クラスのパフォーマーのDimashの家族の一員” というのはどういう感じですか?

M:みなさん こんにちは。

兄の歌を聴いて、僕は小さい頃から有名なミュージシャンになりたいと思ってきました。

そして今は 兄と同じようになれるよう 努力しています。

“Koke(クッキ)” は…

👩:お兄さんのことを “Koke” と呼んでいるんですか?

とても暖かい響きですね!

 

S:MansurもRaushan(妹さん)もDimashのことを “Koke” と呼んでいますよ。

👩:すばらしい!

S:子供たちは 兄が遠くにいるので とても寂しがっています。

毎日連絡は取り合ってはいますけれど、お互いを想い合っているんです。

(うなずくM

Mansurにとって 兄は 自分の曲の最初のリスナーであり、意見を言ってくれるメンターとして創作過程で相談する 最初の人となっているのです。

この番組に出演すると決まった夜、Mansurは兄に 番組で演奏する曲についてのアドバイスを求めました。

その後で私達に相談してきたんですよ。

 

(Mansur君の演奏)

1:28:22(曲後)

バイゼンギロフ氏:Dimashは、MansurやRaushanの兄と言うだけに止まらず、我々の多くの子供達の兄でもあります。

今でも Dimashがここを訪れると 多くの子供達が彼を追いかけて集まってきますよ。

興味深いことには、Dimashは一人一人を抱き上げるんですが、Dimashは背が高いので子供達にとっては、抱き上げられると  高山を征服したくらいの気分になるんでしょうね。

今ではDimashは世界の有名人となりましたが、家に帰ると そういうことは全く消えてしまうのですよね。

もうひとつ面白い話をしましょう。

近所の子供達が うちの近くでサッカーをしていたのですが、周りには車が一台もないのです。

子供が多くいたからでしょうね。

(危ないから大人が車を近づけなかったということか)

これはDimash自身が創った傾向だと言えますね。

彼は巷に現れると、子供たちをみんな連れて行くのです。

去年 彼が来た時は、そこにいた子供たちをみんな連れてプールへ行きました。

まるでカルガモの母親に子ガモが着いていくようでしたよ。

👩:ええ。SNSでも 如何にDimashが子供好きかは分かりますよね。

 

バイゼンギロフ氏:それで…プールの監視員は あまりにもたくさんの子供達がいたので、それがDimashだと気づかなかったようで、その後2~3時間ほどしてから、監視員は子供達に「もしかして あれはDimashなの?」と聞いたそうです。

彼はまさかDimashが子供達と遊んでいるなんて 思いもしなかったのでしょうね。

ということでね、何もRaushanとMansurだけが彼の帰りを待っているわけではないんですよ。

子供達はみんな彼の帰りを待っているんです。

 

👩:Dimash自身も そろそろ父親になってもいい年齢になっていると思いますが…。

結婚については如何でしょうか?

Dimashは自分の考えを話したりはしていませんか?

お嫁さんに関しての ご希望などはあるのでしょうか?

K:我が家では なんでも自由にしていますので、子供は それぞれの家庭を持つことに関しては、ソウルメイト、人生のパートナーに出会えた時に結婚することでしょう。

神様の思し召しですね。

私達も Dimashとはそういう話はしますが、彼は笑いながら「あぁ、お父さん、僕が将来のお嫁さんと出会った時には きっと驚きますよ」と言いましたね。

ですから その日が来ることを期待しています。

 

バイゼンギロフ氏:最近ですが、私はDimashに「いつお嫁さんを家に連れてくるんだい?」と聞いたことがありました。

ちょうどその時、年長者たちが使った料理の皿を片付けていたSvetaを見ながら 彼は「お母さんは まだ若いから 年長者のお世話は お母さんに任せておきましょう」と言いましたね。

 

1:36:13(ご両親の歌)

※ノリノリのお父様※

 

1:41:50

※司会のお二人が歌っている時のMansur君・・・おじさん おばさんばっかりだからしょうがない…それとは正反対にノリノリなお父様 ※