Dimash Show 黎明 2021.5.24

カザフ語版 ハバールTV 公式ビデオ ↓

 

 

※ ところどころ不明な点がある為、わかるところのみ翻訳 ※

 

<ナレーション>

人間の個性という点で、生理的、心理的、社会的な面から言えば、彼はすでに最高の域に達している。

彼は愛する人々のエネルギーをもらい、彼の特徴である創造力の最高に達したのである。

そして彼は素晴らしい作品を創り、歴史に残る記録を打ち立てたのである。

彼は人々を魅了し、喜ばせている。

Dimash Kudaibergen の27歳の誕生日は、彼の全盛期の始まりである。

 

<Dimash Show/ 黎明期>

=Dimash お母さまの子守歌=

 

<ナレーション>

27年前の明け方、Sveta Aitbaev の隣には赤ん坊が眠っていた…彼女の長男である。

この男児は Dinmuhamed と名付けられ、高みに到達し、その栄誉ある名前にあやかりたい と願われたのであった。

現在、この揺篭は神聖なるものとして 近しい友人の家に保管されている。

彼らは本を読み、この(揺篭の中にいる)小さな子の眠りを見守っていた。

Dimash Kudaibergen の母は、自らこの子の臍帯(へその緒)を切ったのである。

彼女はこの Kontakion(кондак)の意味の全てを担ったのである。

これは カザフ語においてもゴッドマザー(名付け親)という意味であるが、ここで言う Kontakion(кондак)は “へその緒を切る” という元の意味から由来している。

今、Sveta は “もう一人の息子” をあやしながら、(この子を)Dimashと呼んだ。

この新生児は、アーティストの Dimash Kudaibergen にあやかって名付けられた。

 

D母:私たちはDimash(Dにあやかった赤ちゃん)のへその緒の切り方について話し合いました。

現在では へその緒を切るのは 新生児センターで行われるものです。

でも、カザフスタンには多くの儀式が残っていて、その意義はとても大きなものなのです。

先ず、誰がそれを行うのか。

次に正確に切り取るということ。

鋭利な刃物で、その家庭に長いこと望まれていた赤ちゃんのへその緒を斧で切るというものです。

地域によって その解釈はそれぞれですが、私たちの地域では、その子が “真直ぐに一本の道を歩いていけること”、”どんな障害も克服していって欲しい” という意味があるのです。

このような”勇気と勇敢さ” は 男児として重要なことなのです。

現在では勿論斧で切ることは許されていません。

でも私達は同じような道具で同様の想いを込めて このような儀式を行います。

この為に白い斧を購入しました。

そしてこの儀式を行い、今ではその斧はこの家に保管されています。

 

<ナレーション>

この神聖な糸(へその緒)を それぞれの世界へ投げ入れる習慣はカザフにはある。

彼らは“それ”を容易な場所ではない土に埋めるのである。

例えば、馬に乗ってしか行けないほど家から遠く離れた所へ。

これが、男児が将来 “自分の土地を守る” ということへの骨幹となるのである。

その子が成長した時、一人の戦士となるか、家を守る者となる。

そして、その子はどんなに遠くに離れた所に行っても、自分の故郷にいつでも帰って来るであろう。

女の子の儀礼はまた別の意味を持っている

我々の祖先の伝統によれば、女の子は別の家庭(嫁いだ先)の血統を引き継ぎ、健康を保つことを栄誉とする。

それで、このへその緒を家からできるだけ遠く離れたところへ埋められるのである。

その為、誰がこの儀式を行うか が需要だとされるのだ。

 

D母:私たちのDimash(Qudaibergen)が生まれた時に臍帯(へその緒)を結んでくださったのは、素晴らしい、とても活発な性格のMiramgul医師でした。

彼女は人々の注目の的でした。

恐らくDimashは彼女のこの活発なところを継いだのでしょう、彼は時々Miramgulさんの そういうところを思い出させますよ。

 

<ナレーション>

頭が切れて大胆で、機知に溢れるロマンティックヒーローとして新しいビデオ <Be with Me> に登場した Dimash Kudaibergen。

カザフ語のラップ、物を壊したり、割れた瓶を持っての喧嘩のシーンは観る者の意表を突いたものだった。

 

D:僕は小さいころ、本当にジャッキーチェンさんを尊敬していたんです。

こんなカッコイイヒーローが簡単にみんなを倒していくんですよ、悪者をやっつけるんですよ。

いつかこんな役をやってみたいと思っていたんですよね。

 

Arman Davletyarov(メディアマネージャー / ロシア):

一人のアーティストが何かを創り出している時、この業界で長年やっている人間として、私は自分の意見を言うことが 彼らの創作に影響されることがないように心がけています。

それでアーティストたちはどんな音楽を、どんなアレンジで どんなやり方でパフォーマンスをするのかを自分で決めることができるのです。

これが彼の試行、創作性なのです。しかし、私の同僚が「このアレンジはやり直そう」「このボーカルはちょっと違ったように歌ってみたら」と言った時、「違う畑の人から言われる筋合いはない」と言うのもまた違うと思うんですよね。

結局のところ、我々はみんなそういうアーティストの消費者であるわけだから、自分たちがその作品を好きか そうでないか、どうやったら我々の興味をそそるかという意見を言う権利はあるのです。

Dimash がやっているのは試行なのです。

それは恐らくこれからの作品でもそうだと思いますよ。

何が彼にそうさせるのかは分かりませんが、留まることなく、いろいろな方向で自分を試しながら発展していっていると思います。

そういう活動はとても価値あることで美しいことです。

良いことだと思いますよ。よくやっている。

 

Renat Gaisin(作曲家):私自身、普通の人間ですから、いろいろなジャンルの音楽を楽しんでいますよ。

子供の頃はハードロックを聴いていましたし、それからジャズに移行してOzzy Osbourne(オジー・オズボーン)、全く違うジャンルのMichael Bolton(マイケル・ボルトン)とか、そしてStevie Wonder(スティービー・ワンダー)のコンサートには4か所(国)も行きました。

・・・

私たちが忘れてはならないのは、ここに現代のアイドルDimashがいるということ。

彼は作曲 編曲からすべてを自分の仕事として 一生懸命にやろうとしていて、歌詞を抒情的に歌うことができるのです。

最近できた曲は、すごく面白いものですよね。

彼の違ったスタイルと多才性を見せようとしている。

・・・

D:このMV(Be with Me)はいつもとは全く違ったものになるはずだよ。

初めてこういう方向性で曲を出すから。

こんなビデオ編集でみなさんに見せるのは初めてだからね。

 

D母:私たちのDimashは疲れているので彼をBesikに入れました。

その前には揺篭を“洗浄(清めて)” しましたし。

これは、ハーブを燻して悪魔、悪魔の眼を駆除するということです。

そして私達はそれをやり遂げました。

 

<ナレーション>

Aitbaev家とMaksimovich家は、30年来の友人で、Askhat Maksimovich のご子息が結婚した時、Svetaが花嫁の付添人を務めたのである。

そして Dimashの祖父母の許可を得てこの子にその名前(Dimash)を付けたのである

 

Askhat:カザフスタンの習慣に従い、Aga Apa(Dimashのご祖父母様)にお伺いを立てて 許可を得た上で、私の孫にMuhammadの名前をつけたのです。

彼らは喜んで許可してくださったので、大変光栄に思いました。

これは 我が家のリトルDimashにとっては とても価値あることです。

これが 私の孫の人生の素晴らしい始まりとなることを願っています。

そして我がDinmukhamedがその先輩方の足跡をたどって素晴らしい人間になってくれると信じています。

 

<ナレーション>

(リトル)Dimashは、Arman にとっての2番目の孫となる。

最初の長男の娘(Armanにとっては孫娘)である Aizere は、パンデミックの期間中に生まれた為、簡素な儀式だけしかすることができなかったのだ。

最も近しい者のみが出席したのである。

・・・

Arman の息子の嫁は、いつか自分の子供たちが Sveta と Kanat の子供たちのようになって欲しいと願っている。

 

Botagoz Maksim(リトル Dimashの母):私たちが Aitbaev家を訪ねた時、Aizere(長女)はすぐに Dimash(Qudaibergen)の方に行きたがり、彼はすぐに腕を広げて受け入れてくれました。

※ Aizereちゃんは Dimash のMV <Omir Oter> で最後にアップになった女の子:後でまた登場 ※

彼は子供たちにとって魅力的なのです。

普段 Aizere は人見知りをするのですが、彼にはすぐに懐いて、ビデオにあるように、初めてなのにハグをしたり、遊んだりととても親しくなりました。

Dimash はとても誠実な人なのです。

テレビのスクリーンからでも見てわかるほどですよね。

 

<ナレーション>

本題に戻ろう。

彼女は大好きなアーティストの為にクリエイティブな面でのリサーチをしている。

Dimash Kudaibergen と子供たちの関係は、まったく違った話になる。

彼は常に若い才能を援助し、兄のように(彼らを)その言葉や実際の行動で示しているのである。

その主なものは、彼らにインスピレーション、希望や自信を与えていることだ。

 

Yerzhan Maksim(子供歌手) :Dimash aga とは "Baktty Bala" でお会いしたのが初めてではないんです。

もう少し前に、僕が10歳の頃、ウラルスクでお会いしているんです。

Dimash aga は お友達に会いに来ていたのですが、こんなすごいアーティストとお話ができるなんて光栄だったからすごく心配だったんです。

全てがあっという間に起こったんですけど、とても気さくな方でした。

あれは Dimash aga が中国に行かれる前の "Baktty Bala" で、僕は Dimash aga のところへ行って「ウラルスクでお会いしたのをおぼえていらっしゃいますか?」って聞いたら、覚えてくださっていて、話を始めました。

中国で世界的に有名になっても、他の人たちと違って 以前と変わらないシンプルで明るい Dimash aga のままでいらっしゃいました。

 

<ナレーション>

Dimash は "Baktty Bala" ジュニアボーカルコンテストの企画に2年参加している。

Maksimにとっては このコンテストから世界の音楽シーンへの道が始まったのだ。

・・・

Maksim:”Baktty Bala" のコンテストで僕は <Rose> を歌ったのですが、その最後にはかなりの高音がありました。

会場にいらっしゃった Dimash aga は立ち上がって拍手をしてくださいました。

 

<ナレーション>

"Baktty Bala" での優勝の後、Yerzhan Maksim は 他のジュニアの大会にも出場している。

その際も彼は Dimash からのアドバイスをもらっている。

 

Maksim:Dimash aga は “歌を歌う時は心を込めて歌うこと”、“カザフスタンを代表していることを誇りにして、カザフスタンにはこんなに才能のある人材がいることをみんなに知らしめること”、そして “カザフ語を話して、自分たちの言語がどんなに美しいかを聞いてもらえるよう頑張ること”、とおっしゃいました。

 

Arman Davletyarov:彼は人々の話題になるほどのカザフスタンのアーティストの一人であり、そして彼はいつも家族の価値観、年長者への尊敬を語りますが、そんな風に生きていくのは簡単にできることではありませんよ。

Dimash のように才能のある若いアーティストは 神様に見守られているのです。

ロシアで私の同僚は「彼はただのアーティストではないですよ。世界クラスのアーティストです」と言っていましたが、これは大事なことですよ。

・・・

Dimash のような才能のあるアーティストが音楽業界のレベル基準を引き上げたのです。

そして世界中で公演するでしょう。

 

(ビデオ:ジュニアユーロビジョン歌唱コンテストに出場予定のKarakat Bashanovaちゃんと)

D:君は美しいよ。幸運と勝利を願っているよ。

ご家族の大切な娘だからね。

明日はヨーロッパのステージに立つんだね。

きっと良い賞を獲れるよ。勝利を願っているよ。

 

Karakat Bashanova(子供歌手):いろいろな感情がこみあげていました。

緊張と、お会いできるという嬉しさでいろいろな感情でいっぱいでした。

Dimash aga が直接 激励をしに来て下さるということはとても光栄なことでしたから。

"Baktty Bala" でも直接お会いしたことはありましたけれど、それとは違う感覚でした。

 

<ナレーション>

彼女は ジュニア ユーロビジョンコンテストへの出場で、Aitbaev 家からの全面的な支援を受けたのだ。

彼らは推薦状を出し、コンテスト出場での指南を与えた。

そして彼女は2位という成績を収めたのである。

 

Karakat:(Dimash の)ご両親とご家族はコンテストの間、ずっと私を応援してくれていたということでした。

とても嬉しかったです。

そして感謝を表したいと思っていました。

Dimash Kudaibergen さんのようになりたいとも思いました。

それには もちろんとても努力しなければならないとも思っています。

 

<ナレーション>

シンプルであることと 努力という二つの要素は Dimash Kudaibergen を敬愛する人々にとっての大事な要素となっている。

Ali Turganbeko というこの特別な子は、これまでDiego Maradona(マラドーナ)やCristiano Ronaldo(ロナウド)やLionel Messi(メッシ)という多くの(サッカー)スターに出会ってきた。

 

Ali Turganbekov(ユニークな激励者):みなさんとお話をしていて気づいたことは、みなさんとてもシンプルで誠実だということでした。

Dimash と会った時も同じです。

会えるのをずっと夢見ていました。

スターなのに、彼はとてもシンプルで 僕を一人の男として接してくれました。

僕の祖父が彼のファンだったこともあって、彼のことはよく知っていました。

僕の好きな曲は <Love of Tired Swans> です。

 

<ナレーション>

Aliは身体に障がいを持つ人々の為に バリアフリーの環境を整える活動をしており、足がないことは重要ではないことを証明するためにもサッカーをしているのである。

 

Ali:僕たちはDimasとサッカーについて語り合いました。

・・・

勿論一緒にサッカーもしました。

そしてこのサッカーボールにサインをしてハグもしてくれました。

・・・

Dimash は僕にとって兄弟、兄のようだと思っています。

何かあったら相談もできると思っています。

 

<ナレーション>

周知のとおり、生活上困難を抱えた人々をサポートするのもDearsの活動の一つだ。

世界中の Dimash ファン達は、彼らのアイドルに成り代わって継続的に社会的イベントを催している。

しかし、ここ最近では更に発展させ、全面的な慈善基金団体を作り国際的な団体に協力しているのだ。

インドネシアは、短い期間に多くの自然災害に見舞われてきた。

地震、村の倒壊、洪水や嵐などだ。

 

Nita Tamrin(インドネシア、広報担当):我々は災害救助の為の土台を築きたいと思いました。

集めた基金を専門的に、合理的に運用することを確実にしたいと思っていました。

そこで、我々は人道主義で知られているインドネシアの非政府団体に注目したのです。

彼らは世界中の自然災害の被害者援助の長年の経験を持っていました。

19:43

 

29:38

<ナレーション>

この著名な作曲家、Renat Gaissin に Dimash と仕事をしたいと思わせたのは、まさに彼の個人的資質の高さだったのである。

矛盾するのではあるが、このミュージシャンにとって 声や天性のものはあまり重要ではなかった。

“人間の品格” が将来的に一緒に仕事をするか否かのポイントとなるのだ。

Renat が曲を提供する歌手と言うのは、エネルギーレベルが彼と同じであることが前提で、それから専門的なこととなるのである。

 

Renat:一番大切なことは、考え方なんですよ。

最も善良な気持ち。

Dimash は善良な感情を持っていて、彼にはずっとこの気持ちを持ち続けていて欲しいですね。

彼はとても善良な人間なので、一緒にいてとても楽なんですよ。

 

<ナレーション>

ここ最近、Dimash は Renat Gaissin 作曲の <Omir Oter‘:人生は過行く> という曲を収録した。(Dimash Digital Showの最初の新曲)

これは彼らにとって <Qiran Elim> に続く2曲目の共作である。

現在は新たなミュージックビデオ制作に取り組んでいる。

我々制作チームは少しだけこの撮影現場を撮らせてもらえることになった。

ではこの新たな傑作がどのように創られていったかを見てみよう。

 

撮影監督:カメラ…スタート…

Anna:音楽に合わせて動いて…音楽が好きだから聴くんだよ。

D:じゃ、始めようか

これはカザフスタンの“功労者”、Renat Gaissin兄さんが心から…え、何?

👨:食料?

D:違うよ

👨:キャロル

D:そう、キャロルだ

 

<ナレーション>

これを作曲するのはそんなに簡単なものではなかったのだ。

特にこの創作者にとって密接にかかわっているものだったからだ。

Renat Gaissin が父を亡くした時に書いたものであり、<Omir Oter:人生は過行く>はその歌唱者を11年の歳月を掛けて待っていたのである。

 

Renat:作曲家にとって(自分の作品を)パフォーマンスをする歌手を探すのは非常に大事なことなのです。

私はいつでもいいものを創るよう努力していますし、Dimash は私にとってベストなの(人選)です。

2人で仕事をする時はとにかく面白いものを創りたいと思っていました。

面白くて、それからオリジナルなもの、そして歴史に残るようなものをね。

100曲書いて、ひとつでも歴史に残るものが出来たら これ以上の喜びはないですよね。

私にとっても、Dimash にとってもね。

他の作曲家やミュージシャンにとっても同じだと思いますよ。

だからこれらの曲は Dimash が歌唱するべきなのです。

こういうコラボレーション(共作)を見つけることは 私にはとても重要なことで、そしてそれを見つけることができたのです。

 

<ナレーション>

MVに関するアイデアは哲学的にも深い意味があるのだ。

再びAizereに会うことができた。

Dimash をこよなく愛するあの少女である。

あの、Sveta Aitbaev にへその緒を切ってもらった子だ。

MVの主要なポイントはこの子にあるのだ。

撮影は深夜に行われ、この子は朝4時半に現場に連れてこられたのである。

 

Arman:今日は重要な一日で、Dimash の次回作のMVの撮影をしています。

このMVの最も若いヒロインは私の(孫の)Aizere なのですよ。

彼女は Dimash の音楽が大好きで、一緒に歌ったり踊ったりして…

だからこんなに朝早くても すんなり起きてセット入りできたんだと思います。

これは 彼女の生まれて初めてのビデオ撮影だったのですが、すべては上手くいきましたよ。

この子はプロデューサーや このチームのみなさんから温かく迎えてもらいました。

この子も頑張りましたよ。

・・・

このプロジェクトに参加したみなさんの努力は報われると信じていますよ。

 

 

Renat:私はこのMVの創作過程には参画していないのです。

彼らからこの内容を聞いたときはとても気に入りました。

Dimash は…彼は自分で創り始めていて…彼はいつでも…

彼は自分のMVのディレクターであり、自分の曲のプロデューサーでもあるのです。

彼は本物のプロデューサーですよ。

そうなんです。

これは必要なことなのです。

そしてそれは尊敬されるべきなのです。

 

自分の芸術の、生活の、芸術的人生のプロデューサーになることは、どうやってそれらを創り上げていくかを1から10まで理解していなければできないことです。

その過程ではさらに深く、寝る間も惜しんで一生懸命にやらなければなりません。

悩んだり、焦ったりもするでしょう。

でも一番大事なことは、自分を信じることです。

私にとっては本当に発見です。

彼は一旦そのアイデアに引き込まれたら何度でもずっとやり続けるのです。

努力し続けて、アイデアが実現するという目標に到達するまでね。

彼の今起きている現象(人気)はこういうところにあると思いますよ。