林真理子さんの新刊が割と人気らしい。

「80代になると大抵ボケるか死ぬ。70代は神様から与えられた特別な時間」

これに続いて、今日は60代が第2の黄金期という記事を目にした。

 

では、何歳代が一番幸せなんだろう。

答えは当たり前に、人それぞれ。

 

林さんは70代前半。今を謳歌しているらしい。しかし、私の実体験では75歳近辺でおかしくなる人をたくさん見かけている。

認知症になる、パーキンソンになる。緑内障になる。これが私の周りでははっきりと75歳近辺で起きている。

そこで私は70代も75歳までと見込んでいる。

 

ちなみに私は50代に差し掛かる直前で大きな病気になり、そこから考えが一変した。

私のこの大きな病気はある意味不幸だったかもしれないが、自分自身にとっては大きな幸せだったかもしれない。

その後の人生が幸せなのだ。

まず人生への執着がなくなった。死ぬかもしれない体験をしたが、あの時死んでいればどんなに良かっただろうと思えるほどに痛くも痒くもない体験だった。あんな風に死ねるなら、当然孤独死も怖くない。

もともと孤独死が悲しいことだとは思えない。若いころに地域の仕事の関係で孤独死に立ち会ったが、その方は3日前には夕方散歩をし、近所の方に挨拶をしていたらしい。こんなに元気なまま、突然亡くなれるのは幸せだったんじゃないか、とその時思った。

発見が早かったので、腐敗などはなかったらしいが、たとえ腐敗していたとしても亡くなっている本人にはわからない。周りに迷惑かもしれないが、本人にはわからない。孤独死だけで悲しい死に方だと断言するのはご本人に大変失礼なことだと当時から今もずっと思っている。

 

ある仕事関係の会合で、奥さんが脳梗塞になり、それ以降、あんなに執着していた子供への執着が全くなくなったように思う、という方に会って、はっと気づかされたこともある。私もそうだったのだ。

「私も愛情はあるつもりですが、愛着はなくなりましたね」と答えた。

そう、それまでの色々な執着から解放された今が一番幸せなのだ。

 

若いころの方が幸せだろうと思う人もいるかもしれない。

しかし、若いころは執着ばかりだ。進学、出世、結婚、子供。どれもただの執着だったのかもしれない。

将来への不安。これも将来への期待への執着の結果だ。

そんなものが全くなくなった今、自分以外の色んなことに興味がもてるようになり、しかもその興味に大した執着もしていない。

推し活も楽しい。さすがにこの年で始めた推し活は、始めて2週間で、間違いなくただの現実逃避だと気づき、結局満足度の探求も現実逃避に過ぎないのだと気づき、気づいた上で行う推し活は潔くて、依存することもなく、多分人一倍楽しい。

世界の将来を憂うけれど、どうせその未来に私は生きていない幸せ。

アンチエイジングなんて、考える時間も実行する時間ももったいない。ちゃんと年をとっていく。

その上で大体元気に動ける間に死ねることを期待しつつ、今そうであることを楽しんでいる。

自分で死のうとは全く思わないが、長寿なんてもってのほかだ。

またあの時のように痛くも痒くもなく死ねる日が来るまで、執着のない世界で終活しつつ、何故か楽しく、そして何故か忙しい今を生きていく。その世代がいつ訪れるのか。それは人それぞれ。