ブログに目をとめて頂き
ありがとうございます!



結婚相手ぐらい自分で見つけてやる!
と長い間意地張って
ハチャメチャな方法で婚カツ後
崖っぷち婚に成功!!
いねちゃんですウインク



自己紹介はこちら





先日のブログで
生まれ変わったら自分じゃない人がいい
と書いたことについて
なんでそう思ったか
いつからそう思っていたのかを
何回かにわけて
振り返ってみようと思いますウインク



先日のブログはこちら







私は生後10ヶ月の頃
手術をしています。



昔母が言っていたのですが、
当時の私はずーっと泣いていて機嫌が悪く
なんかおかしいなと思い
小児科を受診したところ
京大病院を紹介されました。




そこで言われた病名は
水頭症雷




 
もうこの子は一生歩けないかもしれない
と病院の先生に言われたそうですガーン




手術は無事成功し
回復していきました。




両親は
先生に歩けないかもしれないと言われたけど
諦めたくない!という一心で
あちこち機能訓練に連れて行ってくれたそうです。




その想いが通じたのか
私はようやく2歳で歩けるようになりました。



その頃の記憶は私には全くありませんが
祖母がいつも
「歩けるようになってよかったなーキラキラ
と喜んでくれていたのを思い出します歩く





幼稚園や小学校1〜2年生の頃は
階段を下りるのが怖かったりすることが
ありましたが、人より時間がかかっても
少しずつ自分でできることが増えてきました晴れ



小学校3年生以降になると
体育の授業も私にとっては高度になり
努力してもできない事の方が多くなってきました。


なんとかできるようになって欲しい!!
と、担任の先生やクラスメイトが必死に応援してくれて、小学校4年生でようやく3段の跳び箱が跳べるようになった時、友達のひとりが泣いて喜んでくれたことがあり、30年以上経った今でも忘れられない
想い出ですラブラブ




ある日山登りの遠足があったのですが
帰りに雨が降り、斜面がドロドロで
滑って1人では立っていられなくなり
急いで先生とクラスメイトが助けに来てくれました。
両脇をかかえられ、前からも支えてもらい
カバンも持ってもらってようやく下山できた時
生きて帰ってこられてよかったー!
みんなありがとうニコニコ
と感謝の気持ちでいっぱいになりました。





しかしその頃から
「どうせ私は頑張ってもみんなと同じようにできない」と思ったり
ちょっとやってみて無理だと思ったら
「怖いし助けて」
とか
「できひんし手伝って」
と、周りの人に頼ってしまうことが
増えてきました。




続く…







よければお友達登録お願いします(^o^)





友だち追加