こんにちは!

 

nakiのブログを訪れてくださり、ありがとうございます。

 

こんな筈じゃなかった!

 

と思うことありますよね。

 

自分の人生を謳歌して楽しんでいる人がいる一方で、自分の人生を誰かに乗っ取られて息苦しさを感じて生きている人もいる。

 

その差がなぜ起こってしまうのか?

 

それは、この世に生まれてから6歳までの養育者(主に母親)の接し方で決まってしまうのです。

 

生まれてから6歳までに養育者(主に母親)との愛着が育まれなかった場合、愛着障害となってその後の人生全般に渡って影響を及ぼしてしまうという恐怖!

 

発達心理学でいう愛着とは、相手を大事に思う気持ちに支えられた心理的な結びつきのこと。

 

例えば、赤ちゃんのとき、泣いたらいつもお母さんがすぐに駆けつけ、優しく対応してくれる。

そうすると赤ちゃんは、いつも守られている感覚を体感でき安心できます。

 

なにがあっても絶対に甘えを受け止めてくれるという養育者(主に母親)との体験が、心の安心や安定には必要不可欠なんです。

 

私の場合、愛着形成失敗のパターンだと確信してます。

 

幼稚園に初めて登園するときも、母と離れてもなんともなかった。

他の子どもたちが離れたくないよーって泣くのが理解できなかった。

 

2歳のとき、恐らく妹の出産のため伯母さん(母の姉)に預けられたときも寂しくなかった。

 

子どものいない伯母夫婦は、私のことをとても可愛がってくれた。

 

2歳半だったのに鮮明に記憶に残っている。

 

紳士服の仕立て屋だった伯母。

 

仕事場の大きなテーブルの上に乗ってアニメを見ながら、伯母が生地にチャコペンシルで線を引き、裁断していくのを興味深く眺めていた。

 

伯父と一緒にお風呂に入り、湯船でおもちゃで遊んでもらった。

お風呂のあと、ゴザを引いた廊下に寝転んで涼んだ。

 

楽しくて仕方なかった!

ずっとここにいたい!

 

 

私の本当の両親は、私を可愛がってくれなった。

 

私の心の中には、両親との温かい記憶がない。

 

いつも責められ、さげすまれ、けなされる。

 

両親はケンカして大声で罵倒し合う。

 

ものすごい形相で睨みつける母の顔は、冷たくて怒りに満ちていた。

 

今でも夢に出てくる母は、般若のように恐ろしい顔をして私に怒りをぶつけてくる。

 

安定した愛着が形成された場合、心の中に安心安全の基地(セキュアベース)ができて、例え親がそばにいなくても、いつも守られている感覚やありのままの自分は、無条件に肯定されるという信頼感が持てます。

 

そのために自由に好きなことを、思い切り楽しめる力が養われます。

 

自分のポテンシャルを活かして生きていけるんですね。

 

しかし、愛着に問題が生じると心の中にセキュアベースがないため、いつも不安で自己肯定感が低く、生きづらい人生を選ばされることになりかねません。

 

ぽかんと心の中に穴が空いてる感覚。

 

いつも漠然とした不安や焦燥感を抱えている。

 

なにをしてもうまくいくと思えない。

 

などなどなど。

 

私も思い当たることばかり💦

 

本来の力を発揮できないだけでなく、しなくてもいい苦労や苦しみを背負って生きることを強要される。

 

重い足枷を外すためには、自分を理解し怒りの感情や不安の原因を取り除くこと。

 

本当に毒親育ちって大変だ!

 

自分の人生争奪戦はまだまだ続くのでした💦

 

ここまで読み進めてくださり、ありがとうございました。

 

心より感謝致します。