このタイトルは、19日のある新聞の社説の言葉。

秋葉原で起きた無差別殺傷事件についてである。

「相手は誰でも良かった」という、極端な身勝手さ。


「人を殺してはいけない」という、当たり前のことがわかっていないだけでなく、

殺された人の家族や友人の悲しみや怒り、苦しみ、

そして自分の家族の悲しみ、苦しみ・・・を少しも考えなかったのだろうか?

他人の将来を奪う権利など、誰にもない。

心が病んでいる・・・なんて簡単な言葉では、片付けられない。

多くの人の明るい未来を奪ったのだから・・・。

ラジオでも言っていたけれど、

携帯やビデオでの撮影をしていた人がたくさんいたとのこと。

救助をしようとしないただの傍観者・・・がたくさんいたという事実。

イジメには、加害者、被害者、仲裁者、傍観者がいるが、

イギリス、オランダ、ノルウエー、日本の4カ国での意識調査の結果、

日本だけが、中学生になると、仲裁者が減って、傍観者が増えるとのことだった。

まさに、それが実証されたかのようだった。

いざ、そんなときに、自分に何ができるかは疑問で、自信がないけれど

できることを探して動きたい・・・という気持ちはある。

役に立つことができないなら、迷惑にならないようにはしたい。

それが、人として当たり前のことだと思うから・・・・。


他者の痛みを感じない病理・・・・共通しているようで、怖い。

こんな怖い事件が、二度と起きませんように・・・・。