昨日は犬の散歩していて頭にくるくらいの騒音で、迷惑度数が4とすれば、
今日は昨日よりはマシだったから、3にしておこう。
いずれにしろ、せっかくの犬との散歩の時間が、純粋に楽しめなかった。
ウグイスが頑張って鳴いているのにと、ガッカリ。
何度散歩中に「この騒音さえなかったら、自然にあふれたいい所なのに・・・」と、残念に思ったことだろう。
なるべく、関越スポーツランドの騒音が始まる朝9時前に散歩を終了させたいと思うけれど、そうもいかない日だってある。
定休日が唯一の静かな日。心穏やかに過ごせる日。
普通、これが当たり前の生活だろうに、なんで私はこんな我慢のボランティアをしなくてはならないの?
行政は、いったいいつまで私たちにこんな我慢のボランティアを強いるつもりなの?
気持ちがいい日は、窓を開けて生活したい。
でも、開けると騒音はひどくなる。うんざり・・・。
子供と野菜を収穫中、会話を邪魔するのはやっぱり騒音。
世の中には、クラッシックを聞きながら育つ野菜もあるとか・・・。
祖父母が育ててくれる無農薬のおいしい野菜。
騒音を聞いて育っていなかったら、もっともっとおいしいのかもしれない。
子供が外で遊ぶのにも、騒音は付き物。私が子供の頃はこんな状態じゃなかったのに、ごめんねと思う。
とてもとても、「子育てをするのにいい環境」とは言えない。
騒音さえなければ、緑あふれ、小鳥のさえずるいい所なのに!!!
子供たちが不憫でならない。
一部の常識のない人の快楽の為に、私たちの生活が犠牲になっているのを、
行政は知っていても、何の改善もできずにいることが、不思議でならない。
何の為の条例?環境基準?
法律だって、見直しや改善が必要不可欠。
行政にも限界があったら、その限界レベルを上げる努力をして、
法の弱点を強化して欲しい。限界だと逃げずに・・・・。
環境が変わってきているのだから、環境基準だって変える必要があるのは、
当たり前だろうに・・・。と、怒りは、溢れると止まらなくなる。
私たちは、ただ、当たり前の普通の生活がしたいだけなのにな。
私たちのように、生活を改善したいと思っていても、声を上げる人は少ない。
「出る杭は抜かれる時代」なんだと、友人は言っていた。
しっかりと、根っこを張って頑張る主人を、支え、応援したい。