松平 康隆さんとの出会い | こあら 元気のブログ

こあら 元気のブログ

ブログの説明を入力します。

正月早々に男子バレーボール元監督で、イメージ 1
ミュンヘンで金メダルを獲得した時の監督
「松平 康隆」氏(81歳)の訃報を聞きました。
昨年の12/31に亡くなられたそうです。
 
松平さんは、
昭和39年東京オリンピック;コーチで銅メダル。
昭和43年メキシコオリンピックで;監督として銀メダル。
昭和47年ミュンヘンオリンピックで、監督として
日本初の金メダル。
を獲得されました。
この実績は、すでに報道されていますので、
ご存じの方もあられると思います。
は、東京オリンピックの頃から、オリンピックを見ていました、
(ハイ、ハイ、古い人間ですよ。)
 
イメージ 3
 
こあらの、松平さんとの「一期一会」を紹介します。
 
は昭和48年に日本鋼管(株):現在のJFEという会社に入社しました。男子日本バレーボールで世界一となった翌年の春になります。
当時松平さんは、日本鋼管社員でしたから、と同じ社員だったのです。森田選手、大古選手も同じ会社でした。
 
の同期は260人くらいいましたが、新人教育で、
川崎市川崎区渡田の日本鋼管体育館に全員集合で、
松平さんの講話がありました。
 
この方が、テレビで日本中を釘付けにした、男子日本バレーの監督か!と思いながら聞き始めました。
 
40年も前の事ですから講話の内容は、詳しくは覚えていませんが、
当然ながら、ミユンヘンオリンピックの話でした。
 
総括して、とにかく人を引き込む話術にとても秀でた人でした。
いままでこれほどの人に会ったことがありません。
小泉元総理、橋下大阪市長も生で演説を聴くとなかなかのものです。リーダーの中でも、秀でています。
でも松平さんの人を引きつける話術は特筆物です。
だからこそ、バレーボールしかやってこなかった、大型選手が必死になって新技術を編み出したのでしょう。
 
先日ネットで松平さんが、ヨーロッパ遠征するヤングJAPANの面々に訓話をしていました。
 
その中で、松平さんは、
「相手(世界)に勝つために、秀でた技術を3つ身につけなさい。」
と説いていました。
 
これは、卓球にも通ずると思います。も卓球が出来る限り、
極めたいと思います。 
 
イメージ 2
写真は、msn 産経ニュースより転写させていただきました。