もう関係ないけど | 認知症の義母と暮らしてました

認知症の義母と暮らしてました

今年、85歳になる義母は認知症です。昨年からうちに引き取り同居しています。義実家の片付けもあります。
ようやく特養に入り義実家ももう少しです

といいつつまた愚痴ります
すみません







その前に
皆様、この度は本当に沢山のお悔やみと
労いのコメントを頂き重ね重ねですが
ありがとうございました
とても心救われましたし
心強くもありました。
ありがたいです。
できるだけお礼の言葉を返していきたい
と思っていますが、コメントの保存数に
限りがあるとは知らず直接に
お礼をいいたいのですが消えてしまって
いる方もあるみたいで申し訳ありません
お許しください
心より感謝しています





で、今日のブチブチです




亡くなった母の相手には
もう50になろうという引きこもりの
息子がいる
母が身の回りの世話をしていたとはいえ
食べることは自分の好きな時間に
あるものを好きに使いたい放題で
食べたいものを好きなだけ作って
食べたいだけ食べていた






母が段取りして食材を買っておいても
知らない間になくなってしまう
よく怒っていた






母に小言を言われるので
母が外出か寝ている間や
みんなが就寝している夜中に
顔を会わせないようにして
作って食べていたようで








この息子
今はほとんど話さず
普段は引きこもりで食べ放題以外は
なんら日常生活に変わりはないが
若いときはやはりむしゃくしゃや
イライラが酷く
体格も大きくてもてあまし
母のうるさいお小言にキレて
母に包丁を突きつけたことも
あったようだ
母は、刺せるものならどうぞと
言ったらしいが未遂








数年前に母が私にボソッと話した
たぶん男は知らないだろう







男はこの息子にはとても甘く
真面目にがんばっている次男は
バカらしくなって
そそくさと自立して家を出た
それも一軒家を建てて
同じ兄弟でもこれほど違うかと思う
次男は母にとても優しかった






母も基本は甘いが
言うことは言っていたから
この息子には煩わしい
目の上のたんこぶ
あれほしい、これ買ってきてと
都合のいいときだけ使って
本音はうっとおしい存在だった







母が入院してからは
男と同様、この息子にも
気分の悪いことだらけ






母が入院して家にいなくなってから
ふうこがその家にいくたびに
どんどん家の中の様子が変わる
特に台所
今までは母のいないときしか
使えなかったから
これみよがしに自分の使いやすいように
いじりまくって母の愛用品を捨てていた
それを男はあろうことか私に
「片付けてくれてねん、
がんばっとるやろ?なっなっ」
と言ってくる
はぁ、意味わからん、アホやろ








母が仏となって家に帰って来て
私達がバタバタと用事をこなし
お悔やみと最後のお別れに来てくださる
沢山の人の出入りの激しい中でさえ
全く、我関せずで
台所でジャージャーと
自分だけの為のごちそうを沢山作って
2階へもって上がっていた
すごい神経だ









病気なんだろうとは思うが
男といいこの息子といい
ふうこの神経をどこまでもこれでもかと
さかなでしてくれる
(そんなんだから行ってる間中
目眩と吐き気と耳鳴りの嵐
必死で耐えて)







人んちだから今までそんなこと
したことないけど毎日行ってて
男の家の台所に
ふうこがひとりになったときに
少し見回してみた
何故か一口の簡易コンロがでていて
そちらへガスのホースが繋いである
見るとガス代のコンロはボロボロ
つけてみたがつかない
冷蔵庫は開けると酷い腐敗臭
冷気も感じられず

もうひとつ大きな冷凍庫を
置いているのでほとんど
そちらへ入れていたようだけど







本来女の城である台所なのに
お世辞にも快適とは言えないこの有り様
これもストレスだったろうな
料理はとても好きだったから
ドケチなこの男はまだ使えるとか
適当にあるもの使えって
言ってたんだろうな
母も長年連れ添ってわかってて
もう言うてもあかんて
あきらめてたんやろなと
色々想像がつく
家族のためでさえお金を使えない
お金があっても使い方を知らない
情けないこの男








そういえば冬場はいつ行っても寒かった
暖房をケチっていた
私も冷え性、母も冷え性なのに
よく我慢してたなぁ
よくこんな家に数十年もいたね
我が母ながら
そんなあなたの神経も信じられません
どうにでもしようものなら
どうにでもなったろうに
自分勝手に生きてきて
意地もあったんやろうね
自分が選んで一緒になったんやし
何があっても背負ってやろうとか
そんな根性もあった人だから







それは間違ってないし
正しいと思う
そうなんだよね
母の人生なんだから
それを娘であっても第三者が
評価することでは全くないんだ
それはわかっているけれど
それまでの親子関係からの
色んな感情が込み上げる








たとえ親子であっても
それぞれに全く違う人生
そんな母を反面教師に して
それなりに色々あるも
私も弟もしっかり地面に足をつけ
それぞれ自分の事は自分でやり
地についた生活をしてきて自立し
母を助けたり世話することはあっても
母に頼ることも皆無で
母の手を煩わせることもなく
親孝行してきたつもりだけど







思いやる気持ちも大切にしてきたけど
越えられない所も沢山あって
思うところも沢山あって
大きな重い荷物をようやく
下ろせるときがやっと来たかと
安堵の感もあるような娘は
やはり親不幸なのかなと思ったり






昨日、ありがとうございましたなんて
書いといてまたやっぱりこの話
我ながらこのグチグチ盛りだくさんに
笑えます
で、結局何が言いたいのって
文章ですみません









読んでくださりありがとうございます