中島川の石橋群。
その技術は中国から伝わったようです。
長崎大水害以前は、
川沿いの店舗や建物が、
川にせり出すように密接していました。
20年に及ぶ交渉の末、
橋の両岸に歩道が整備されました。
眼鏡橋の由来がわかるようにw
水質はだいぶ良くなっています。
このあたりは汽水域というか、
海と思ったほうがいいですね。
欄干にはフナムシがチョロチョロ。
護岸はカニのすみかです。
護岸のハートストーンを
探してみるのもいいですね。
眼鏡橋は、メガネのコクラヤと
セットで語られるもの?
近代のコマーシャル事情ですね。
もとは興福寺の参道として、
2代住職黙子如定によって
架けられたもののようです。